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「みみずのたはこと」徳冨蘆花を評価する柳田国男―蘆花の民俗誌?

 「みみずのたはこと」は、千歳村粕谷に移住した徳冨蘆花が自分や近所の人々の暮らしや出来事を記述した随筆集である。1913年の出版でベストセラー(注1)となったように売れ行きは好調で何度も版を重ねており、度々書き継がれているため蘆花のライフワークとも呼べるような作品とも言えるだろう。この作品のことを柳田国男は「蘆花君の「みみずのたはこと」」(『定本柳田國男集  第二十三巻』(筑摩書房, 1970年)収録、本書によると、初出は『大阪朝日新聞』1928年10月8日)で高く評価している。その部分を抜粋して以下に引用したい。

(前略)この一つの物をどこまでも見つめ見送らうとする切実な態度は、或ひは彼を雄大なる作家たらしむるには不便であつたか知らぬが、少なくとも彼が青年の日から一貫して、常に無料の愛慕と推服とを、引付けていたものも此力であつた。
(前略)かれは其小説を透してさへも、なほ自分の境涯を読ましめようとした。この真情流露の文学の前に立つて見ると彫琢を常の癖とするわれわれの生活は誠に淋しい。
(前略)私は近頃偶然に粕谷の隣の村に来て住んで、殊に身に沁みてこの書を読みかへす機会を得たことを悦ぶ者である。以前このあたりはただ広々とした松林薄原であつた。幾度か自分等はこの間を逍遥しつつ、ただ行く雲を望み鳥の声などに耳を傾けて、ここがわが身のつひの住家となることさへしらなかつた。ましてや草木の下陰にかくれて、こんな濃かな人間生活が織込まれているなどは、物の序にも考へたことがないのである。然るにこれを見ようとしてもう十九年も前に、静かに入つて来た徳富氏があつた。(中略)蘆花さんが歩み寄り、まじつて共々に憂ひ又笑つた武蔵野の人生も大半は昔になつた。(後略)(一部を現代仮名遣いにあらため、筆者が重要であると考えた部分を太字にした。)

この文章で柳田は「みみずのたはこと」を蘆花のひとつのことを観察し続けた態度、素朴な文章、自分が気が付かなかった人々の生活への関心を挙げて高く評価している。特に蘆花が人々の中に入って細かい点を記録した点を評価していると思われる。この「内部者による内部の観察(省察)」という方法は柳田の民俗学の中でも重要な方法のひとつになっていたので、柳田は蘆花の文章に共感したのだろう。

 『柳田國男全集  別巻1  年譜』(筑摩書房, 2019年)によると、柳田が成城の新居に移住して郊外での生活をはじめたのが1927年9月になるので、この文章は柳田の移住から約1年後に書かれた文章になる。今まで散策していた武蔵野を「つひの住家」とすることになった柳田は、自身の境遇を武蔵野に移住してそこに住む人々の生活を記録した先行者である蘆花に重ねていたのだろう。柳田の蘆花への敬意と郊外生活への期待が感じられる文章である。

(注1)以下の記事を参照した。


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