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鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』についてのメモ⑨―読書会第3回目

 先日、鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』(編集グループSURE、2022年)の読書会を開催したので、当日使用した資料を公開したい。

(前略)
2. 『日本の地下水』について(前回の補足)
・1956年より開始。『中央公論』から『思想の科学』へ
→サークルの興隆期に始まり、その後波の引いた後も紹介し続けた。
→サークルが1960年の安保闘争を境に下火になったという鶴見の認識。(「なぜサークルを研究するか?」『 鶴見俊輔集』第9巻、筑摩書房、1991年)
→今回取り上げた範囲は1960年以降のサークル活動が下火になった時期。この時期に鶴見はサークル活動に何を見出していたのかがポイントを思われる。

・この本は鶴見が執筆した「日本の地下水」の文章をまとめたものであるが、この本に収録された文章以外にも鶴見が担当者の一人に名を連ねたものもある。ただし、文章は書いていないので今回の本には収録されていないと思われる。

・『思想の科学』では、サークル誌の寄贈願いが掲載されている。寄贈された雑誌は日本大学内のサークル図書館で保管。
→日本大学総合学術センター内に現在も保管されている?蔵書検索できないのだろうか?

上記の情報によれば、NHKで放送された以下の「戦後史証言プロジェクト:日本人は何をめざしてきたのか:2014年度「知の巨人たち」 ひとびとの哲学を見つめて~鶴見俊輔と「思想の科学~」第2回」でこのセンターに所蔵されている雑誌が使用されたという。

人民の記録がね 私にとっては国民の記憶より重大なんだ。いったいどういうふうに人民の記憶に残っているか それが知りたいんだ。それが歴史学の生きている課題だと思う。(番組冒頭より引用)

・『思想の科学』には毎月サークルの紹介、活動日程の紹介をする欄が設けられている。
→雑誌上でサークル同士の交流が行われている。
(中略)

P184
・『土田杏村とその研究』のようなマイナー人物研究が昔はあった。
→『石原莞爾研究』、『芳岳』(下中弥三郎研究)、『山宣研究』(山本宣治研究)
→土田杏村は大正時代に人気であった思想家。華族出身であった鶴見とある意味同時代人であったとも言える?(鶴見の家には多くの作家が出入りしていたようだ。)

P192
・反戦、抵抗の思想の系譜。過去から未来へ流れている思想。

P195 時差のある思想→「瓢漫亭通信」

P202
・老いへの関心②

P209
・思想の受け継がれ方②・・・その伝承の場としてのサークル
→砂川から三里塚へ畳を持っていく。

P211
・運動、抵抗の情報交換の多様性。

P216
・個人が強くないと集団が成り立たない時代。どのような時代状況?
→前回紹介したサークル、集団の意味の喪失?
→個人レベルの抵抗(P213)

P218
・老いへの関心③

P222
・無意識に身についている習慣への抵抗、思想の連続性。

P226
・出版し続けることの難しさ。「三号雑誌」という言葉があるほど続けることが難しい。
(参考)趣味誌の実情

ただし、三号雑誌=無視してもよいという雑誌ではない。

P246
・時代から疎外された者への視線=歯車にあわなくなった人間

その他
・自分で語っているようにみえても上から定義されたことばを使い自然と立場が決まっていくという状況もあるのが難しい。個人の語りが決められたことば、フォーマットに落とし込まれ、気が付かない間に分類されてしまうこともありうる。

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