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『土の香』の加賀紫水が主宰していた趣味人団体・旭桜趣味会はいつまで続いたか?

 先日発行した調査趣味誌『深夜の調べ』第1号に私が投稿した加賀紫水『土の香』の解題「民俗学実践の場『土の香』、その支援者・加賀紫水」で加賀が主宰していた趣味人団体である旭桜趣味会に言及したが、楳垣実編『加賀紫水翁記念誌』(蝸牛工房、昭和26年)に掲載されている加賀の回想「細い道」では、以下のように紹介されている。

蒐集趣味として旭桜趣味会を組織し全国同好者と交誼しつつ、紀念スタンプ、納札、木版エハガキ、紀念切手、足袋票、マッチ票、駅弁票、参拝納印等、所謂紙屑問屋を開場し、一宮市を中心とした知識階級で、趣味人約二十名を聯絡結束し、機関雑誌を発行、毎月一回交替で書画骨董から趣味蒐集品の天狗展覧会を十数回巡回開催したことも大正末頃にあったが、会報十号まで出して、約二年で自然散会した。

上記のみでは、旭桜趣味会がいつまで継続したのかは分からない。以下の記事で紹介した加賀紫水編『国の礎』が昭和2年前後に発行されていた(注1)ことを考えると、昭和2~3年までは継続したように思われるが、その後は不明である。

 しかしながら、旭桜趣味会は昭和5年ごろまで継続していたように思われる情報を最近発見した。以下の記事で紹介した京都の趣味人団体・洛葉会の発行した『蒐集家名簿』(洛葉会、昭和5年)に加賀紫水が以下のように掲載されている。

官白、駅弁、足票、土俗(関)、旅行(関)其他趣品一切
一宮局 私書函第八号 土俗趣味社 旭樓趣味会
加賀紫水

旭樓趣味会は正しくは旭桜趣味会と思われるが、いずれにせよ加賀の紹介に趣味団体の名前が記載されていることから少なくとも旭桜趣味会は昭和5年までは継続していたと推測できる。昭和5年は加賀にとって非常に多忙な年であったようで、私が確認した限りでは、『土の香』も5月に第4巻第2号(通巻20号)の1冊のみしか発行されていない。旭桜趣味会がその後いつまで継続したのかは分からないが、『土の香』を長期間発行できないほど忙しかったことを考慮すると、おそらく昭和5年ごろに解散したのではないだろうか。

(注1)加賀紫水編『国の礎』の詳細は、『深夜の調べ』第1号に掲載されている「資料紹介:加賀紫水編『国の礎』について」で紹介している。

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