田中緑紅の『人魚の家』に大物趣味人・鷲見東一が登場
以下の記事でも述べたように、田中緑紅が発行していた雑誌『人魚の家』第2号に掲載されている「玩具の楽み(二)」は土俗(郷土)玩具蒐集家のことを紹介した文章である。紹介されている人物の一人に拙noteでも度々取り上げている大物趣味人・鷲見東一がいる。この紹介を以下に引用してみたい。
堺 鷲見東一氏
一、何年頃から御蒐集になりましたか。
何年頃からといふことは確然と記憶はないが子供の時分から何でも集めるといふことが好きであつたので随分小さい頃から何でも集めて居つたことを覚へてゐる。然し玩具を主として集める様になつたのは今から五年程前からのことでほんとの新米であります。
二、どうした動機からお蒐めになりましたか。
矢張集めることが好きであつたので集めると云譯なので歴然とその動機などを求むることが困難であるが、いろいろ趣味的の書籍や雑誌を読んで土俗玩具が追々廃滅するといふことを知り、これは是非力の限り集めて、残して置くといふことは自己の趣味を満足せしむる外、国家的にも必らずや将来何等かの仕事をするもので、無意味ではないと信じたのが蒐集の動機とでもいふべきものであろう。
三、何か特に御蒐集になっておりますか。
別に特別に何を集めるといふことはありません。各地の伝説的の土俗玩具なれば何でも集めてゐます。
四、大凡何個程御所有で御座いますか。
数の上から言つても量の上から言つても品位の上から言つても極めて貧弱でお恥かしい程でその数は僅かに三百個位ひであります。
五、御蒐集の方法は。
旅行の途次集めたもの、或は各地の知人を頼んで求めたもの、或は趣味交換会などで入手したものなどもありますが、此頃は主として書籍雑誌等によりて土俗玩具のある地方を知り、その製造元は役場、警察、知人、商品陳列所などに照会して回答を得、直接製造元へ注文してなるべく倉などに残ってゐる昔のものなどを少々痛んで居っても送って貰ふ様にしてゐる。それは此種の玩具店に売ってゐるものが往々模造品を掴まされるがため、それを避けんがためであります。模造品では可なり苦い体験があります。
六、どうして御保存になっておりますか。
別に特殊な方法はありません。七段とか八段とかいふ棚を数個作ってそれに並べてゐます。そして樟脳やナフタリンを置いてゐるだけ、太陽の光線などは当らぬ様に可なり気をつけてゐます。それでも色の褪せることをどうすることも出来ません。先輩の指導を仰ぎ度しと思つてゐます。
七、御蒐集品中特にお好きなものの名を二三。
取立てていふ何物もありません。それは蒐集品が極めて貧弱であるがためであります。然し皆さんから御寄贈を得た分には特に寄贈者の氏名を録して敬意を表してゐます。そして判ってゐる限りはその玩具に付て知れる處を記録にしてゐます。
(一部を現代仮名遣いにあらてめ、読みやすくなるように必要に応じて句読点を追加した。)
上記にリンクを貼った鷲見の小伝でも紹介しているが、鷲見は子供の時から蒐集することが好きであったようである。引用した記述で興味深いのは、鷲見の郷土玩具の蒐集を開始したきっかけと蒐集方法である。鷲見は蒐集の動機を「いろいろ趣味的の書籍や雑誌を読んで土俗玩具が追々廃滅するといふことを知り」と述べているが、何の雑誌を読んで知ったのだろうか。また、蒐集の方法は各地域の製造者に直通問い合わせを行って送ってもらっていたという。この方法は当時の蒐集家の間では一般的であったのだろうか。