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名編集者だった?雑誌『土の香』を編集していた加賀紫水

 先日、民俗学の研究雑誌『土の香』を発行していた加賀紫水(加賀治雄)の編集していた『尾張の方言』(土俗趣味社, 1931年)という興味深い本を国会図書館デジコレでみつけたので紹介していきたい。加賀紫水、彼の編集していた雑誌『土の香』、それを発行していた土俗趣味社に関しては、以下の記事のように拙noteでも何度か紹介したことがある。

まずは『尾張の方言』の自序に加賀の生涯に関して貴重な情報が含まれていたので一部を以下に引用してみたい。

(前略)私は一貧家に生れ独学にて漸く一小学校の訓導の末席を汚し十数年間育英の道に励みましたが道の人に非ずと感じ昨春より実業団体の一書記として貧弱ながらも日夜東奔西走激務に従事しています。教職中に人心の敗退を痛感し、全力を盡して全国、官国幣社の御祭神、御由緒、御印影、国賽、特別保護建造物、古典、交通等を調査し、「国の礎」と題し全六冊四百余貢を発刊し知友に贈呈しました處、各方面より深大なる讃詞ち激励を賜り、且つ御援助の意味にて各地の土俗文献の御寄稿を賜りましたので不取敢附録として発表致しました。其節より土俗研究に多大の興味を覚え、かつ皆様より、何か土俗雑誌を出したら如何と御助言があり昭和二年春より土の香なる雑誌を発刊することになりました。(中略)尚小著を発刊するに當り、諸先生より御多忙中にも不拘多大の御序文を拝受し、(後略)
動力織機の爆音を聞きつつ 紫水生
(一部を現代仮名遣いにあらためて、筆者が重要であると考えた部分を太字とした。)

以下の記事にもあるように、加賀は小学校の訓導であったが、退職して民俗学研究の傍らに実業関係の仕事をしていたようである。この文章の末に「動力織機の爆音を聞きつつ」とあるので紡績関係の会社であろう。加賀が『土の香』発行以前に「国の礎」という本を編集していたことも分かるが、私がウェブで少し調べた限りではこの本の詳細は分からなかった。出版当時の書誌情報を確認してみる必要がありそうだ。また、加賀が忙しい仕事の合間に自分の研究をしていたようで、この姿勢は広い意味で在野研究をしている身として共感できる。この姿勢は以下の記事で紹介した出口米吉と同じである。

 『尾張の方言』に序文を寄せている人物にも注目したい。目次のみであれば国会図書館デジコレの図書館外閲覧でも確認できるが、この中で私の知っている人物をあげると、東条操、能田太郎(熊本)、本山桂川(千葉)、鈴木重光(神奈川)、橘正一(岩手)、澤田四郎作(大阪)、中道等、柳田国男(東京)である。興味深いのは、序文を寄せている人物が各地域から集まっている点である。加賀が各地域の研究者と交流があったことは昭和前期までの民俗学史と研究者の地方ー地方のネットワークを検討する上で重要であると考える。

 この時期柳田と疎遠になっていたと思われる東条、本山が同じ本に序文を寄せているのもおもしろい。『柳田国男のスイス 渡欧体験と一国民俗学』岡村民夫(森話社, 2013年)によると、この時期柳田は方言周圏論を唱え東條の方言区画論を批判していたようだ。柳田は『尾張の方言』に「採集者と話主」という文章を投稿しているが、この中で東條の実施していた地域の人々に採集手帖を送るという方法を手帖が空白になって返送されてきたとして効果の薄かった東條の方法を暗に批判している。また、柳田と本山の関係性は、以下の記事でも紹介したように詳しい経緯は不明ながら『尾張の方言』が出版された時期には疎遠になっていたと思われる。これらの柳田周辺の複雑な人間関係を無視して彼らを巻き込んでしまうほど広かった加賀のネットワークや編集者としての手腕に驚かされる。


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