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「土の香の思ひ出」柳田国男に関するメモ

 先日、柳田国男の「土の香の思ひ出」という文章を読み直す機会があった。この文章は楳垣実編『加賀紫水翁記念誌』(蝸牛工房、1951年)に掲載された加賀紫水や彼の編集していた雑誌『土の香』のことを回想した文章である。(注1)なお、この文章は礫川全次さんのブログの以下の記事からも閲覧できる。

以下に興味深い部分を引用してみたい。

(前略)飽きも疲れもせずに、同じ一つの仕事に、身を入れて来られたことは、僚然たる一つの現象であり、私たちのような物ずき仲間にも、そう沢山の類例を指折ることは出来ない。今となってはもうそんな時間もないが、是は一つ民俗学の前途の為に、是非とも観察し又研究して置くべき問題であった。出来ることならば加賀君の新たなる知友、又は久しき交遊を続けて居る人たちに引き継いで、将来どうすれば斯ういう特色に富める地方の学徒をして、最も多く世代の文化に寄与せしめ得るかを、考えて見てもらいたいものと思う。私の例でもわかるように、人の一生などはまたたく間に過ぎ去り、理解し又利用する者が周囲に居ない限り、効果を次の代に残すことは望まれないからである。(後略)(筆者の重要であると考えた部分を太字にした。)

柳田がこの文章を執筆したのは晩年であるが、上記の引用部分で太字にした箇所は自分の学問人生を振り返ってのことばであると思われる。柳田は自分の仕事を振り返るときに後悔が多くなることが知られているので、この部分もその傾向があるように思われる。一方で、この文章は柳田が自分の仕事の意図を正しく理解して引き継ぐ人々がいないのではないかと考えていたようにも読むことができる。この時期に柳田が次世代に何を伝えようとして、実際にどのように伝わったのかは他の柳田の文章も読んで検討していく必要があるだろう。

(注1)柳田と加賀の『土の香』の関係に関しては、以下の記事で紹介したことがあるので、こちらを参照して欲しい。


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