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11-1.目の前にあることをそのまま受け入れる

『動画で考える』11.動画で考える

計画を捨てて、想定外の事態を受け入れて、ありのままの状態を撮影しよう。

動画を撮り始める前に想定していたことを、決してそのまま動画化することはできない。頭の中で考えていたことが、そのまま動画として実体化するわけではない。

天気の良い日に外出して、友人と待ち合わせて、街を歩きながら会話をして、その様子を動画で記録したいとあなたは考えていた。あなたの頭の中にはこんなイメージが思い浮かんでいる。晴れ渡って広がる青空、日曜の午前中でまだ人もまばらで、友人と一緒にあちこちお店を覗きながら楽しく街歩きしている様子や、たわいもないけど楽しい会話。つまりそれはテレビドラマや映画で良く見かけるシーンだ。ありがちなイメージだけれど、どこで見たのか思い出せないし、それには具体的な場所も顔も話の内容もないような、のっぺらぼうなイメージだ。

それで実際に街へ出かけてみたとする。思ったより天気は良くない。青空をイメージしていたけど、実際の空はうっすらと青いがどちらかというと濃いグレーに変化しつつあり、そもそも空全体が均一の色というわけではない。ある部分は深いグレーで淀んで見えたり、また別の箇所は薄いグレーの地に刷毛でこすったような白い筋がパラパラと混じっていたりして、そしてそれらが刻々と変化している。

友人との会話も思ったより楽しめるものではなかった。あなたが何か言おうとすると、友人はそれを遮って、くどくどと自分がこんな目に遭ったと愚痴をこぼしはじめる。それはなかなか終わる気配がない。その内に二人とも何だか疲れて、寡黙になり、黙り込んでしまう。無言で歩くのは気が重いし、ついついうつむき加減になってしまう。あなたが出かける前に思い描いていた、あの楽しい気分はどこに行ってしまったのだろう?

しかしあなたは、目の前にあることをそのまま受け入れ、動画で撮影するしかない。それこそあなたがなすべき事だ。あなたは事前に動画撮影に関してあれこれ思い巡らせ考えていたかも知れないが、その事と、実際に動画で撮影するものとは、まったく関係がない。気分の良い青空だとか、友人との楽しい会話だとか、そのような抽象的な曖昧なものはどこにもなく、目の前にあって動画で撮影可能なものは、徹底的に具体的で細かな部分の積み重ねで成り立っている現実でしかない。そして動画は正確にそれを写し撮ることしかできない。

理想を思い描いて、あなたが撮影する動画をそれに近付けようとすることはやめよう。

あなたはそこにないものを見ようとしてはならない。そしてあなたが期待するものをあなたの友人や周囲の状況に押しつけてはならない。自分に都合が悪いものを見て見ぬふりをしてはならない。そして動画の撮影はそのための最適な手段だ。あなたはただ、録画ボタンを押して撮影をスタートし、やがてストップする事しか出来ない。

動画の対象には、おいしそうなもの、楽しそうなもの、きれいなもの、カッコイイもの、そのようなものは何もない。すべては同じようにカメラの前にあるだけだ。非常に高価なものも、道端に打ち棄てられたものも、とても愛情をかけられて大切にされているものも、ぞんざいに扱われているものも、どれも交換可能な均質さを持っている。

ものにもオーラを感じるとか、魂が宿っているとか言いたくなることもあるかも知れないが、それはファンタジーの世界だ。ファンタジーにとらわれると、ものそのものが見えなくなってくる。安物のガラクタも高価なダイヤモンドも動画の中では均質に扱われる、という自由さこそ、動画の本質と言える。

そこにあなたのエゴを持ち込んではいけない。花を美しく撮ってはいけない。子どもをかわいく撮ってはいけない。お気に入りの洋服を美しく撮ってはいけない。それはそのままの実体を隠してしまうから。

このような姿勢で動画の撮影に取り組んでみると、私たちが、いかに普段から目の前にあることをそのまま受け入れていないかがわかる。部屋を撮影しようと考えたらまず部屋の片付けをしたくなる、自撮りしようと思ったら、まずメイクしてかわいく写るようにしてからにしたい。何のために?何を基準として現実を正そうとするのか?それを良く考えてみると、だれにも答えはない。

ビデオカメラのファインダーを覗いて、ただ目の前にある現実を凝視し、記録しよう。


目の前にあることをそのまま受け入れるための道具として、動画を使ってみよう。そのまま撮影して、そのまま再生してそれを見るだけだから、それは非常にシンプルな試みだ。音楽を付けたり、文字を付け加えたり、細かく編集して気に入った部分だけ使う、なんて加工も必要ない。そしてそれを何回も繰り返し再生して、じっくり観察してみよう。

同じものを友人にも見せて感想を聞いてみよう。解説もいらない、お互いの気遣いもいらない、思ったままの感想を言ってもらっても良いし、それをまた動画で撮影してみても良い。

そしてありのままの自分の部屋、そして自分自身を撮影してみよう。部屋に三脚を立てて、ただカメラをそのまま据え付けににして撮影するだけで良い。あなたは何の気遣いもなく、淡々といつも通りの自分として振る舞うだけだ。そこにはあなた自身も知らない、リアルなあなたの姿がある。

(イラスト/鶴崎いづみ)

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