現実という機関について
現実に溶け生きる者たちは、自分たちが現実に生きていることに気が付かない。生活、労働、情動、全てが現実としてわたしたちの行く手を阻んでいることに。
そしてとうとう、私のところにも現実が侵食してきた。労働、睡眠、時間。私が現実を俯瞰し、拒絶するために距離をとっていたものが、私の作り上げた陰気で理性的な桃源郷である夜を私から奪う。
騒々しく陽気で思考停止の日中を生きるためにたった数日、夜を空けることは私にとって息が詰まることであった。
愛する憂鬱の夜の為に辛うじて生活を営んでいる人間にとって、夜を奪うというのは心に灯る一切の光を消し去ることだ。
それを知ってか知らずか、現実という悪夢に飲まれた人間達は、現実を強要する。現実に溶けなければ生きることなどできないと。
まるで死も生もすべて理解したような顔をして、私達を詰る。
現実、生と死について理解させる暇も与えないまま生きることを何よりも善とし、生きるために作られた構造を、自身の誇らしい人生だと錯覚させる、恐ろしい、厭な機関だ。
抵抗する者に与えられるのは死のみ。