メタモルフォーゼする
ヒトは衣食住から老いる
〝ヒトは血管とともに老いる〟
これは、今から100年以上も前にアメリカはジョンズ・ホプキンズ大学で近代医学教育の基礎を作ったウィリアム・オスラー博士(William Osler: 1849~1919)の言葉である。
そして、この血管の老いを作るのは、何かというと毎日の習慣である。
そして、その毎日の習慣の舞台となるのが、〝衣食住〟であると、わたしは考えるのである。
つまりは、
〝ヒトは衣食住から老いる〟
とも解釈できるわけである。
〝メタボリックシンドローム〟
この言葉を聞いたことがないという人はいないであろうくらいには既に周知のことだとは思う。
通称、〝メタボ〟。
これは、内臓のまわりに脂肪が過剰に蓄積した〝内臓脂肪型肥満〟を前提とし、それに加えて脂質異常、高血圧、高血糖のいずれか2つ以上をあわせもった状態を指す。
このメタボが進行すると、ドミノ倒しのように高血圧や糖代謝異常などが起こり、次いで動脈硬化、虚血性心疾患や脳血管障害、最終的には心不全や脳卒中、腎不全、認知症、がんなどの重大な病気が引き起こされる。
そして、行き着く先は死である。
このメタボが連鎖反応的にさまざまな病気を引き起こし、その様子がドミノのようだということで、慶應義塾大学医学部内科学教室の伊藤裕教授がその概念をわかりやすく図解化している。
それが
〝メタボリックドミノ〟
である。
ドミノを倒すな
このメタボリックドミノであるが、一番上流に位置しているのが、生活習慣なのである。
ドミノというと、はじめは単調な1本のルートから始まり、ゆっくりと1個1個パタパタと倒れていく。
それが次第にルートが複線化し、スピードも乗ってきて、芸術的にひとつの作品を描いていく様は圧巻である。
このドミノであるが、スタートを切ったばかりであれば、すぐにその勢いを止めることは容易であるが、時間が経つにつれて、ドミノが複線化してくると、時すでに遅しで、勢いにのったドミノを止めることは不可能となる。
最後のドミノが倒れるまで、だまって見届けるしかないのである。
これを病気に例えると、メタボリックシンドロームと診断を受けたばかりの早期であれば、まだ可逆的に健康を取り戻すことは可能であろうが、見て見ぬ振りをして、長年放置すると、カラダの中でじわりじわりと火事が燃え広がるように全身に波及していき、それがいつしか不可逆的にまで進行し、ある時を境に日常生活をドロップアウトせざるをえないくらいのダメージを被ることとなる。
医療従事者として、患者を間近で見る機会があることから、こうしたドミノが倒れていくのを放置してきたがゆえに、早期に対処していれば予後が良かったり、そもそも病気に罹患することもなくQOLを高い状態に保ったままで定年まで仕事をバリバリとこなせたのにとか、重い後遺症を今後も引きずったままで残りの人生を過ごさなけれないけない労苦とか、バカにできないくらいの医療費で生活が圧迫されるとか、そうした後悔しきれない思いをたくさん感じとってきた。
だからこそ、より一層とドミノを倒さない重要性を強く痛感するし、多くの人が毎日の衣食住をちょっとでもシンプルに整える知識やテクニックさえあれば、wellnessな世の中になるのになと思うのである。
このメタボリックドミノであるが、そもそのドミノの上流まで登っていき、一番先端にアプローチをするのが、長い目でみても、そして効率性から見ても、そして今流行りのタイパ、コスパ、そしてスぺパ面から見ても、得策なのである。
ちなみにスぺパとは、スペースパフォーマンスのこと。
空間を効率的に使おうよという概念で、最近はこの3つが忙しい現代人にとっては、トレンドだという。
そして、このメタボリックドミノの先端に位置しているのが、毎日の生活習慣となるのである。
この生活習慣というドミノの1個目を死守するということは、〝衣食住を整える〟ということと、ほぼ同義としたい。
衣食住を整えられさえすれば、生活習慣は整い、メタボリックシンドロームに罹患するリスクも減らせ、オスラー先生が言うところの、〝ヒトは血管から老いる〟ということも緩やかでヒトが本来的に持つ自然なペースで進行ができるのである。
メタモる
〝メタモルフォーゼ〟という言葉がある。
元々は、ドイツ語である。
意味は、〝変化、変身、変容、変態〟といったところである。
わたしは、シンプルに衣食住を整え、メタボリックドミノの1個目を強固にすることは、wellnessであると考えている。
そして、このドミノの先端にそびえたつ1個目をびくともしないくらいに強固なものにすることは、この〝メタモルフォーゼ〟に例えたいのである。
メタボリックとメタモルフォーゼ、語呂も似ていて、相対するにはちょうどいい。
ドミノを〝メタモる〟ことで、メタボをブロックする。
その行動がwellnessとなり、レジリエンスも高まり、ストレスも減る。
日々、健康を実感することで、運動や睡眠への意識も自然と高まる。
それにより、より健康を意識するようになることで、正のスパイラルが起きる。
衣食住を整えることで、生活習慣が整う。
血管が老いるどころか、逆に若くなっていくことも期待できるのである。
ダイエットしたい人も、このドミノ上流アプローチ思考で、意図せずともにダイエットは叶うのである。
自分仕様のゴールデンサークルを作る
前回のnoteでゴールデンサークル理論について話したが、中心にくる〝WHY(なぜ)〟という自分の価値観とかアイデンティティ、信念といったものをまずは確立させる。
そこを起点として、内側から外側へと思考を拡散していき、小さな行動レベルへと落とし込んでいく発想が、生活習慣を見直す上では使えるメソッドとなる。
まずは、確固たる自分なりの〝WHY〟を打ち立てる。
そこから、〝HOW(どのように)〟や〝WHAT(なにを)〟といった細かな行動もおのずと導き出されてくる。
自分の場合を例にとると、
自分の現在における〝WHY〟とは、医療従事者として、現行の仕事をまっとうし、病気の渦中にいる患者に寄り添い、傾聴しながら、療養上の世話にあたる。
それとは、並行して、そもそもの病気の根本にアプローチしたいとの考えからメタボリックドミノの上流にある生活習慣を是正することが、予防医療につながる、そしてこの予防医療は一人一人が自分で出来ることである毎日の衣食住にもっと意識を向かわせることだと考えている。
現行の対症療法的な医療アプローチと予防医療のアプローチ、この2つでもって挟み込むことで、wellnessへと導くことができる。
個人ベースがこうしてwellnessになることで、日本そして世界がよりよくなっていくというのが、自分なりの〝WHY〟なのである。
そして、そこから導き出した〝HOW(どのように)〟や〝WHAT(なにを)〟は行動経済学や行動デザイン、習慣をベースとしたものである。
ヒトのデフォルトはそもそも非常に非合理的であるというところから、はじめていき、その非合理なことを知った上で、前頭葉の力を日々鍛えることでメタ認知する能力を高めていく。
これを日常の衣食住、つまりは生活習慣レベルで小さなところからデザインしていくのである。
メタモる思考
結局、ヒトはどこまでいっても、どう認知するかに大きく左右されるのではないかと思う。
例えば、仕事で80点レベルでもよしとし、少しでも浮いた時間を使って同僚とのコミュニケーションに使ったり、家族と過ごす時間を多くするなどする。はたまた、常に100点を求める完璧主義こそ、自分の至上命題であるかのごとくにひとつひとつのタスクに全力投球をそぞく。
資料ひとつとっても、誤字脱字はもってのほか、視覚的な見栄えも重視する。仕事に全力にコミットし、同僚とのコミュニケーションや家族との時間は未来に出来た時間までおあずけにするという考え方の持ち主。
また、毎日家族のために作る食事は完璧であれねばならないと、一汁三菜どころか、四菜、五菜と腕を振るう。昨日と同じメニューなど考えられない。SNSにはこんな食事メニューをキラキラにして投稿するのも忘れずにね。かたや、味噌汁、サラダや残り物の野菜で即興で仕上げた野菜炒め、そして納豆のみ。または、一度に大量に作りおき、昨日と全く同じメニューでいく。それで浮いた時間は家族でしっかりと食事をともにしたり、手短に食器を洗い終わったあとは、ゆったりとした時間を過ごす。全然キラキラなんてしてないからSNSからの「いいね」なんて別にいいの。
どれも置かれている状況、それに伴う認知一つでいかようにも感情は変わってくるであろう。
認知が違えば、見える世界もガラッと変わってきてしまう。
同じ行為でも、見る人、見る角度によって、全然違ってくるもの。
行動経済学や習慣形成の知識を使うことで、今まで憎らしく思っていた、どうしようもなく非合理的な自分の日々の行いが可愛く思えてくるから不思議である。
「どうしてそんなことを」と自分に突っ込みたくなるくらいに毎日が非合理な行動で満ち溢れている。
しかし、行動経済学や習慣のメカニズムを利用することで、そんな情けないくらいに、でもなんともユニークで可愛い自分の行動をよりよい方向へと自在に持っていけるのである。