追悼ニール・パート プログレ、そしてドラマーの象徴だった、ラッシュの頭脳
どうも。
2020年代突入、最初の大きな訃報を伝えなければなりません。
ニール・パートが亡くなってしまいました。彼は
カナダが生んだ伝説のプログレ・バンド、RUSHのメンバー、というか中心人物なんですが、それと同時に
ロックリスナーのあいだでは、もう古くから「ジョン・ボーナム、キース・ムーンと並ぶ、ロック史上最高のドラマー」と言われ続けてきました。それは僕が子供のときから、ずっとそうでした。
「どんなドラムを叩いていたか」は、この動画が一番うまくまとまっています。この人の場合、手数は多いは、キックのスピードが尋常じゃなく早いは、聞いてるこっちが正確なリズムがわからなくなるような複雑なリズムはちゃんと刻むは、とにかくリズムが細かいです。しかもこの映像だと、60代の、もう体があまり良くなかった時期のまで含まれているから驚異的です。
これ、最盛期の若い頃ですけど、これも、絶えず流動的にリズム変えてきてるのに、ぶれずにしっかりリズムキープできてるのがすごいですよね。これ、1981年くらいのライブでの映像ですけど、この頃にはジョン・ボーナムもキース・ムーンもこの世にはいなかったから、実質、世界ナンバーワン・ドラマーだったんですよね。
そして、彼の場合、使ってたドラムキットが
こんなドラムキットで叩いていたわけですからね。タムとシンバルの数、いくつあるんだよっていうね。
このドラムだけでもすごいんですが、この人、そしてラッシュはそれだけが偉大なわけではもちろんありません。ラッシュはですね
80s以降最大のプログレ・バンド!
この事実を忘れてはいけません。
欧米圏での人気、本当にすごいんですよ。ブラジルでも、アメリカでも、クラシック・ロック局というラジオ・ステーションがあるんですけど、ラッシュ、非常によくかかるんです。
この「Spirit Of The Radio」「Tom Sawyer」「Limelight」の3曲は、もう、基本中の基本です。
これらの曲が入っている「Permanent Waves」(1980)「Moving Pictures」(1981)の2枚はロック史上、非常に重要です。同じ時代でいうと、AC/DCの「バック・イン・ブラック」とかピンク・フロイドの「The Wall」とか、そういうのと近い価値感覚で重要です。本当に、それくらい、日常で曲がかかるんです。
これがなあ、日本だと通用しなかったんですよねえ。なぜなら、80sって、パンク/ニュー・ウェイヴの時代だったから、そういう方面に走る人にはプログレってオールド・ウェイヴだったし、プログレのファンにしても、これが一番いけなかったと思うんですけど、オリジナル・プログレのスターのその後ばかりを追いすぎた。イエスとか、キング・クリムゾンとかエマーソン・レイク&パーマーのその後ですね。エイジアとか、あの辺りですね。だから、いまだにそういうバンドのメンバーのバンドばかりが人気があって、ラッシュってなかなか注目されなかったんです。
しかし、これが欧米圏だと、「プログレ・ファンの現在進行系の希望」こそラッシュだったんです!
だって、僕の中高のときだって
1,2年に1枚のかなり速いペースでアルバム出しては、必ず全米で悪くとも20位内にはアルバム・チャート、入ってましたからね。
全米チャート上でも、「Permanent Waves」以降はですね、2012年の「Clockwork Angels」まで、12枚連続でトップ20以上、91年の「Roll The Bones」以降は6枚連続で6位以上、最後の2枚のアルバムは共に最高位3位。すごくないですか?
欧米圏ではですね、それくらい、ラッシュこそが失われつつあったプログレ最後の希望の星だったんです。
なぜ、そこまでラッシュが人気あったのか。それは、いろいろあります。曲がメロディックかつハードでわかりやすかったというのもあるし、時代に対応できるアレンジ力があったのもたしかです。でも、最大の理由は
詩人ニール・パートの存在です!
ラッシュの曲の歌詞の大半はかれが書いていたんですが、その歌詞というのは、アイン・ランドやジョージ・オーウェルの影響を受けた近未来SF調で、しかも自由を求めて戦う姿を描いたものが多かったんです。
これが、ロック少年の心をつかんでいたんです。
こうしたこともあってですね、アメリカだと、僕に近い世代、本当にラッシュ、ものすごく人気あるんです。それは
まさに1980年をテーマにした伝説の学園ドラマ「Freaks And Geeks(フリークス学園)」でも、ジェイソン・シーゲル扮する高校生が熱狂的ラッシュ・ファンとして描かれていたほどです。
ジェイソン・シーゲルはその10年後、ポール・ラッドまで引き入れて「I Love You Man」というコメディでラッシュのカバーバンドまでやります。この映画、ラッシュ本人がカメオ出演までしています。
同じコメディアンでも、ジャック・ブラックはフー・ファイターズとステージ上で「Tom Sawyer」のカバーまでやってます。
そのフー・ファイターズが2013年、ラッシュがロックの殿堂入を果たしたとき、殿堂入りを告げるスピーチを担当しています。「ローリング・ストーン・マガジンの評論家にはとことん嫌われた。だけど、俺達はラッシュに夢中だったんだ」みたいなことをデイヴ・グロールは主張。くしくもデイヴ、そしてテイラー・ホーキンスは共にドラマーなわけですから、ニール・パートからの影響が大きいのは言うまでもありません。
最近はですね、このプログレのバトンというものが
TOOLに完全に継承された印象があってですね、それもあってか、ラッシュ、ちょっと振り返られにくくなっているのかな、というところがありました。ここのドラマーのダニー・キャリーも、ニール・パートとプレイスタイルがかなり比較されてますね。
こんなふうに一緒に写った写真まであって、キャプションに「Two Best Drummers In The World!」って書いてあったので、本当にそうやってリスペクトされていることがわかります。
そう考えるとねえ、日本で人気出損なったことは本当に痛かった!残念なのは、たとえばザ・フーやAC/DC、ザ・キュアーも、日本で長らく「人気ない」と言われ続けていたのに、ファンの熱心な嘆願もあって、その後、日本に来て大きなところでライブやるようになったんですよ。そこがなあ、ラッシュの場合、結局、1985年を最後に来日公演がないままに終わってしまった。これは本当に悔やまれることです。
僕自身はですね、幸運なことにラッシュのライブ、体験できてます。実はそれこそがですね、サンパウロに引っ越してから体験した最初のライブだったんですよ。
これが、そのときのレポートなんですけどね。2010年10月8日。場所はサッカーのサンパウロFCの本拠地のモルンビ・スタジアム。ここにはその後、パール・ジャム、フー・ファイターズ、ローリング・ストーンズ、U2と見に行ってますけど、入り的にはその後に行ったものほどには集まってなかったんですけど、それでも3,4万人くらいの人はいたような気がします。
このときは、さっき言った「Moving Pictures」の全曲再現ライブがウリだったんですけど、それで楽しみつつ、ニールのドラム・ソロも堪能できて言うことなかったですね。この日、ジョナサンという名の、僕の義兄(年下)もラッシュの大ファンなので会場に来ていて、彼がずいぶん興奮していたのも思い出します。
今は本当に便利な世の中で、そのときのライブの映像、あるんですよね。そのときのニールのドラムソロでシメて、追悼に変えさせていただきたいと思います。この美技の継承者が時を経ても現れ続けることを心から願いたいものです。