リーダーシップを発揮するためには
「あの人はリーダーシップがある」という言葉はよく耳にします。ところで、「あの人は論理思考に長けている」とか「あの人はプレゼンがうまい」という言い方をしますが、これらは能力であり、個人の属性に関する言及です。では、「リーダーシップ」とは属性でしょうか?ある個人に内在的に、リーダーシップという属性が備わっているという表現は適切かどうか。
個人的には、リーダーシップという概念は、「関係性」に依存すると思っています。つまり、リーダーシップとは、リーダーだけではなく、フォロワーを含めた関係性を指し示した概念。リーダーがリーダーシップを発揮できるかどうかは、フォロワーを含めた双方の変化を要求されるということです。
部下がついてこない。そんな弱気を見せるリーダーがいたとします。売上が下がり、利益も圧縮され、社長から叱責されて後がない。この状況下で気持ちを強く持てるリーダーは「俺が変わらなければ」と、自らの言動をあらため、部下への接し方を変えるかもしれません。部下にとってみればちょっと面食らうというか、急な変化に対してなかば不信感を抱いてしまうかもしれません。
リーダーが部下の変化を促すためには、リーダーの真意を伝える必要があります。正直に、自部門の業績悪化を伝え、社長からのプレッシャーがあることも包み隠さず部下に伝える。そのうえで、部下がワクワクするようなビジョンを提示し、明るい未来をみせてあげること。
もとい。最初はワクワクできないかもしれません。部下はひょっとしたら、冷めた目でリーダーのビジョンを聞いているかもしれません。おそらくその方が多いはず。Amazon創業当時の写真を見たことがある人は多いと思います。そしてこんな状況でも、世界一を目指して部下を鼓舞し続けていたのがベゾス氏だったのではないでしょうか。ですがよほどの信者でないかぎり、ベゾスのビジョンを最初から熱狂的に受け入れるのは難しいでしょう。
ビジョンをかかげ、ビジョンに一貫した言動を続け、少しずつ成果を残していって獲得した周囲の信頼。このときはじめて、「リーダーシップ」が発揮できるようになるんだと思います。リーダーシップのありようが変化するためには、リーダーとフォロワーの両方がともに変わる必要があるというのはそんな理屈から。
最近は、われわれ部下と上司を含めた議論が活発化しています。白熱してくるとどうしても、空気が悪くなりがちなのは日本特有。ですが意見を通わせて、「目指すべき場所」を見つける作業は、組織や企業が成果を残すために必要不可欠なものです。ここをおろそかにすれば、みんなが好き勝手できて、バラバラな状態では「リーダーシップ」が醸成されません。
私たちはなんのために仕事をしているのか。そう問われたとき、皆がよどみなく、一字一句たがわず同じ「ビジョン」を語れるようになったとき、リーダーのリーダーシップが駆動し、フォロワーとともに成果を生み出せるようになるんだと思います。
久保大輔