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お客さんとエモーショナルにつながることができれば売り込みは不要になる
とあるスポーツ連盟を訪問。
競技人口が毎月●●●人も減少する
という危機的状況において
何をすべきか。
改革を標榜しているものの、
暗中模索といった感じでした。
1時間ほど話をしての感想は、
どんな競技も他人事ではない
ということ。
競技性を前面に押し出して、
競技の魅力によって集客するのは、
日本のあらゆるスポーツに
特徴的な戦略です。
皆さんも一度は目にしたことがある
(もしくは目に入らない?)
スポーツ競技のポスター。
勇ましい言葉と選手の写真
そこに試合日程が記載されていますが、
このようなクリエイティブに反応するのは、
結構な割合で
「関心層」です。
コミュニケーションに
深みのあるストーリーがなく、
競技至上主義に
「無関心層」
の心にとどくメッセージは
載せられていません。
■消費者は、
スポーツ(例えばサッカー)のことも、
スポーツの商品(例えば「試合」)のことも
気にかけていません。
関心があるのは自分自身です。
その前提に立てば、
スポーツを
無理やり売りつけようとするのではなく、
消費者のために何ができるか
に注意が向くはず。
コミュニケーションは
一方通行ではなく、
ブランド本位のものでもなく、
伝えたい相手と
エモーショナルにつなげるものです。
誰も求めていない、
誰も好まない、
誰も反応しない
販売促進コンテンツを
がんばってつくるのではなく、
顧客のニーズをとらえ、優先し、
顧客とつながり合えるストーリーを語ること。
どうすれば少なくとも、
顧客にとって役に立つ存在になれるか、です。
■現代社会を見つめる、洞察する。
何度もnoteで書いていますが、
「自由」を獲得した私たちは
孤立しました。
高度経済成長下における、
皆が共感できるひとつの大きな物語。
大学、就職、終身雇用、年功序列、
三種の神器にマイカーとマイホーム。
年金は余生を豊かに暮らす、
まじめにがんばった人の特権でした。
そんな画一的な物語は
あっけなく消失。
価値観が多様化して、
自由に人生を選択できるようになった私たちは、
他者との相対化に苦しみ、
人間関係は分断させられました。
この社会において
スポーツが果たすべき役割は何なのでしょうか?
それはミッションステートメントとして
言語化されているはずです。
ないのであれば、
可及的速やかに
プロジェクトチームを立ち上げて
言語化すべき。
最上位概念である
ソリューション(ミッション)は、
個別具体的なコンテンツに
落とし込まれます。
コンテンツはミッションを実現するための手段。
コンテンツマーケティング
をはじめるにあたって何よりもまず考えるべきは、
ミッションステートメントの作成です。
■コンテンツマーケティングは、
顧客にとって役に立つ、
説得力のあるコンテンツを
制作して配信することで、
明確にターゲティングされた消費者を
引き寄せて、獲得して、
エンゲージメントを作り出すための
方法論。
コンテンツが人々を結びつけ、
共有されて、
それが人々の個々の問題を解決する
ということが浸透すれば、
人々に「気づいてもらう」
ことができます。
販売行為をせず
顧客とコミュニケーションをとって、
一貫した役に立つ情報を
継続的にターゲットに届けることができたら、
見返りとして
ターゲットから信頼を獲得して
顧客(ファン)になってもらえる。
コンテンツがひとりよがりだったり、
宣伝色が強ければ
一気に信頼は失墜します。
ブランドが一番、
顧客の心をつかむのは、
魅力的なストーリーを語っているときです。
■スポーツの会場で起きていること。
すごいプレー、
ゴールした瞬間。
人々は感情を開放させ、
隣りにいる人と感情を共有します。
ときにハイタッチ、
ときに抱き合いながら。
それは「一体感」といわれる
人と人とのつながりです。
孤独感による日常的なストレスは、
試合会場で発散されるでしょう。
そのときに人は何を感じるか?
がんばってよかった、楽しい、
また来たい。
自己肯定感とともに
身体性の回復(疲れがとれた)だって
ウソではありません。
「生きててよかった」
と思う人だって
少なくないはずです。
とあるご縁で接点を持った
とあるマイナースポーツ。
スポーツには
競技面以外に多様な価値がある
ということにあらためて
気づかせてもらいました。
私の研究、実践の原点はまさにここ。
これからも広く、
この概念を訴えていきたいと感じました。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!