
音を視る 時を聴く 坂本龍一展 20250221
会社を休み、MOTで坂本龍一展を体験してきた。
教授の音楽作品とコラボしたインスタレーション、VRでのピアノ演奏、手記やメモなどがあった。
最初の作品は夢幻能を主題にしていた。ちょうど今、自分が時間と水を表現するために夢幻能の構造を小説に取り込んでいたので鳥肌が立った。そして笑いがこみ上げてきた。こういう次元でのコミュニケーションをもとめて芸術をやっていることを思い出した。
他は震災で残ったピアノや水滴のインスタレーションなど、比較的意図を理解しやすい作品が多かった。
中谷芙二子の霧彫刻は、コラボというより流石に彼女の作品だった。子供の頃、北海道の羊蹄山でガスに覆われたときの感覚を想起した。こういうタレルのような自然を用いた表現は、それならば山に登り空を見上げればよいのでは、という意地悪な思いが一瞬よぎるのだが、枠にいれることで自然を作品化し、都市にある身体からまなざし考えることに意味があるのだろう。
霧のなかで死者と出会い、対話する。
夢幻能である。
坂本龍一はキャリア後半から世界を音の粒でとらえるアニミズム的なフィールドレコーディングへ向かった。水とピアノの音は似ていることもあり、水を媒介に自然と人間をつなぐ表現が各作品に共通してみられた。また音楽は時間芸術であるから、時という主題も通底していた。



帰宅後、会場で購入した坂本龍一の最後のリリース、Opusを聴いた。作品を「音楽」から解放し、ピアノの響きを自然音として扱い、過去の作品を一音、一音ずつなぞり直したような、人と自然が調和した響きがした。
人生の後半にたどりついた耳でキャリアを支えてきた名曲をとらえなおし、歩いてきた道を振り返るように再演した音楽を収めた二枚のアルバム。
心の全体性を見いだした人が、それを表現に昇華した姿のように思われた。
「芸術は長く、人生は短し」
という言葉を胸に刻んだ。