ゼロ票確認ガチ勢との戦いの記録
世の中には「ゼロ票確認ガチ勢」という人たちがいる。選挙の際に、各投票所で一番乗りの有権者のみに与えられる特権があり、その特権を得ることに全てを賭けて挑む者たち。その特権とは、投票開始時に投票箱の中身が空であることを係の人と一緒に確認し、選挙に不正がないことを証明する証人となる権利である。
私が彼らの存在を知ったのは、2024年7月に行われた東京都知事選のときである。7月7日の日曜日。あの日は前日夜から彼女がうちに泊まっており、狭いシングルベッドで二人で寝たため、眠りが浅く朝6時半には目が覚めた。なんとなくテレビをつけると、早朝というのに整った身だしなみをしたアナウンサーが、午前7時から東京都知事選の投票が開始することを報じていた。時計を見る。午前6時45分ごろ。間に合う。7時ちょうどに間に合う。私は、「せっかく早起きしたのだから、どうせなら投票所に一番乗りになってみたい」というなんとなくの理由から急いで身支度をし、6時50分ごろには家を出たと思う。投票所は自宅から歩いて2分の場所にある小学校である。
真夏だというのに肌寒い外の空気が、実際以上に「早朝感」を醸成し、これは本当に一番乗りできるかもしれないと私を浮き足立たせた。意気揚々と小学校までの坂道を駆け上った私は、その矢先に驚きの光景を目にすることになる。時刻は6時55分前。なんと、校門に一人のご老人が立っていたのだ。早い。早すぎる。私はたった数分前にできた夢が一瞬で崩れ去った儚さを感じながら、ご老人に笑顔で挨拶をした。ご老人と2、3言言葉を交わしたところでふと、奥の体育館の入り口に係の方が4名立っているのが見えた。そうか、並ぶ場所は校門ではなく、投票所となる体育館の入り口だ。消え去ったと思っていた夢が再び私の目の前を明るく照らし始めた。ご老人には悪いが、ここは若者の脚力を見せるときなのかもしれない。私は「体育館の入り口に並ぶみたいですね」とせめてもの優しさを見せ、小走りで体育館に向かった。
体育館の入り口が近づいて、再び衝撃の事実を知ることになる。係の方だと思っていた4名のうち2名は、係の方っぽい服装の民間人だったのだ。私は膝から崩れ落ちた(心の中で)。そのまま茫然自失の状態で、午前7時、投票開始のときを迎えた。体育館の扉が開くと、前に並んでいた二人は前のめりに足を進めていった。なるほど、この人たちは本気なんだ。本気で1位を取りにいっているんだ。彼らの名を「ゼロ票確認ガチ勢」と知ったのは、帰宅した後のことである。勇足で進む彼らの背中を見て、ああ、遊びで勝てる世界じゃないんだと落胆する私だったが、神様は起死回生のチャンスを与えてくれた。受付が二列態勢だったのだ。つまり、私が並んだ列の前の人の受付が奇跡的にスピーディーに済んだ場合、私は3番手から一気に2番手に躍り出る可能性がある。そしてその奇跡は起きた。前の人の受付が一瞬で終わり、かつ、現状2位の方が何故か身分証の提示を求められたのだ。私は心の中で15年ぶりくらいに「神様!」と叫んだ。こういうときだけ頼りにするのは本当に申し訳ない。
活路は見えた。現在順位は2位。受付を一瞬で済ませ、投票用紙にタイムロスなく一瞬で候補者の名前を書ければ、いよいよ優勝の二文字が見えてくる。
甘かった。
1位の方は練習を積んできたのかと疑うほどのスピードで候補者の名前を書き上げ、我々有権者を代表して投票箱の中身を確認し、投票を終えて颯爽と体育館から姿を消した。
あまりに強い。あまりにスタイリッシュ。ショックで意識が飛びかけた私は、なぜかこのタイミングで候補者の漢字がゲシュタルト崩壊して書けなくなったことで、掲示されている候補者一覧を見ながら丁寧に名前を書くはめになり、気付いたら4位に順位を落としてのフィニッシュとなった。一連の事態を飲み込みきれないまま、15分前に歩いてきた道を帰る。たった15分間の出来事とは思えない。いや、そうだ、15分間ではないのだ。1位のあのお兄さんは数ヶ月、下手したら年単位で鍛錬を積み、投票箱の中身を見るために様々なことを犠牲にしてきたに違いない。私のようにその日の思いつきとか、なんとなくで1位を目指しているわけではないのだ。意識が、覚悟が違いすぎる。負けた。負けたんだ。
帰宅すると彼女はまだベッドにおり、ドラマを見ていた。ドラマの音に割り込んで、彼女に言った。「僕、頑張るから」
「何が?」と真顔で返され、この15分間の出来事を話そうかと思ったが、彼女をこの戦いに巻き込むわけにはいかないと思い口をつぐんだ。ここから先は遊びじゃない。犠牲を伴う。1位を取るために手段を選ばない連中だっているかもしれない。そうなったときに彼女を、自分を守れるように強くなりたい。その日から私は常に復讐の炎に燃えていた。投票当日のイメトレを行い、最も効率的な動線を頭の中で思い描いた。鉛筆での速筆トレーニングも欠かしていない。
敗戦を喫したあの日から3ヶ月半。時は満ちた。明日は衆議院議員選挙当日。やつらは必ず現れる。僕からすべてを奪っていったやつらに復讐を果たし、今度こそのぞいてみせる。銀色の箱の四隅を。
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