昇格/超多忙プロジェクト完走/余白が好き
昇格した。入社1年でアナリストからコンサルタントへの昇格。社内的には早くも遅くもない及第点的なスピードだが、業界的には早い方なのだろうか。半年ほど前から「早く昇格したい」と思い続けてきた。理由は、給与や裁量の大きさではなく、「最低限1人前」というお墨付きが欲しかったからだ。それを得ないと、気持ちよく自信をもって転職できないと思っていた。実際、昇格する3ヶ月前、つまり1年目が終わろうとするくらいのタイミングから、自分のタスクを安定的に管理するだけでなく、プロジェクト全体で走っているタスクにも気が回り、チームに次の動きを提案できるようになってきていた。1年目でこの状態になれれば、まぁ十分なのではと思う。社内の人間がこの記事を読んでいたら気まずいが、そろそろゆっくりと転職活動を始めようと思う。元々、やりたいことが見つかるまでの借りぐらし的に今の会社を選んだので、やりたいことがある程度見えてきた今、この会社に居続ける理由はあまりない。
8ヶ月続いた超多忙プロジェクトが6月末で終了した。平均残業時間は75時間ほど。コンサル業界の友人に聞いたら120時間残業していると言っていたが、そういう異世界の住人を除けば、75時間はだいぶ働いた部類に入るだろう。肉体的にも精神的にもすり減り、休日に気力がゼロになる”休日無気力症候群”に陥った期間もあったが、常に自分を俯瞰し、「今自分は大変な仕事というものを体験しているに過ぎない」「こんなきつくなること仕事以外ではあまり経験できないな」と自分の状態をあくまでも一時的なものと捉えることで、ストレスを回避する方法がここでも生きてきた。自分を俯瞰する癖は、ストレスを緩和するという良さはあるが、我を忘れて物事に熱中しにくいという弊害もある。明日からゆったりしたプロジェクトに入る予定なので、時間もできることだし、趣味に全振りして何かに没頭したい。
一時期絵本が好きだった。ドキュメンタリーが好きだ。セリフの多すぎない映画が好きだ。ホラー映画みたいな間の使い方をする漫画が好きだ。最近になって、自分が好きなものには共通して”余白”があることに気付いた。絵本は文章が少ない分、そこに余白がある。ドキュメンタリーは、特に人に密着しているものだと、無言のままの横顔を映す描写なんかが出てくる。セリフの多すぎない映画も同じかな。ホラー映画みたいな間も、まさしくセリフや音のない描写である。これら余白のある作品を好きな理由は何か。恐らく余白が人に与える自由と、人間性を炙り出す力にあると思う。前者について。説明の少なさは、その作品の解釈をある程度受け手に委ねることに繋がる。つまり、「はい、君はこの作品をどう見る?」と、想像の自由を与えられているに等しい。受け手は登場人物の背景や考えを自由に空想し、作品の意味を勝手に決めていい。どう解釈しようが完全に自由だ。その自由が心地よいのかもしれない。後者の人間性を炙り出す力について。余白は人間性をこれでもかと炙り出す。無言の横顔は、その人が言葉にしない感情をこちらに伝えてくる。震える手は、焦りや恐怖、苛立ちを表す。僕は、暗い過去や感情を隠し持つ人間に魅力を感じるので、そのような負の側面を露わにする余白が好きなんだと思う。
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