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いわゆる「ハンブレ」について

ハンブレッダーズというバンドがいる。このバンドの話を周囲にして、話が通じたことが一度もない。でも確かに、確実に、この日本にはハンブレッダーズというバンドが存在している。
彼らの才能は作詞能力にある。曲もいいのだが、私にはその良さを的確に伝えるほどの音楽的知識がないため、今回は割愛する。聴いたら分かる。
今回は彼らの歌に潜んでいるキーフレーズを引用しながら、彼らの言葉の力を世に広めたいと思う。

キーフレーズ①

ひとりぼっちの大きさは人によって違うから
君の気持ちがわかるだとか
言いたくないけれど

楽曲『またね』の一節。
もし、ひとりぼっちで苦しんでいる人がいたら、あなたならどのような対応をするだろうか。
私だったら、「ひとりって辛いよね、寂しいよね」と共感する言葉を投げかけると思う。
それに対しハンブレッダーズは、「ひとりぼっちの苦しさの度合いや種類は人それぞれ違うし、何なら苦しいかどうか、ひとりぼっちという状態に対してどのような感情を抱くかすら人によって違う」という捉え方を提案している。その上で、「人の気持ちを勝手に分かった気になるのは失礼だ」という意見すら示しているような気もする。
衝撃的なのは、この一節が歌の途中に差し込まれているのではなく、この一節から歌が始まるという点だ。歌い出しで一気に曲に色を付ける。
なのにどこか懐かしさを感じるメロディで、メッセージ性の割に全く脂っこくなく、すっと体に入ってくる。
実は冒頭の歌詞の後も、ずっと素敵な歌詞が続く名曲。


キーフレーズ②

「好き」って伝えたら、「どこが?」って言う癖
鬱陶しいけど治さないでよね

楽曲『ファイナルボーイフレンド』の一節。
これが愛だなと思う。相手の鬱陶しい部分すら、変わってほしくないと願う気持ち。いや、変わったら変わったでその変化を楽しんでしまうんだろうな、愛というものは。
この曲には他にも、

「ただいま」の度に恋をしよう
不安ごと君を抱きしめよう

とか

ロクでもない日々でも君の肌色があれば
退屈は薔薇色

等の愛に溢れた歌詞が登場し、実は歌い出しから歌い終わりまで一貫して、一文字の無駄もなく違う言葉で愛を表現し続けている歌なのである。
ゆるやかなAメロから、静かに覚悟を決めるようなBメロ、そして愛情が爆発したようなメロディーのサビ。
やはり私には音楽的な論評はできないみたいなので、諦めて最後のキーフレーズの紹介へ進む。


キーフレーズ③

今は君にしか聞こえないその胸の高鳴りよ
世界にとって都合のいいBGMになるなよ

楽曲『BGMになるなよ』の一節。
何だっていい。誰にだって胸が高鳴る瞬間はあるはず。それを隠す必要なんて全くないけど、無理に誰かに打ち明ける必要もない。ただ、世間や周囲の顔色をうかがって、その胸の高鳴りを蔑ろにすることだけはしてはいけない。なぜならその鼓動は、他の誰でもないあなた自身の命そのものなのだから。
曲中の好きな歌詞としては他に、

目を背けたくなるようなこんな世の中で
目の前の君に優しくできるかが僕の戦いさ

がある。
頷きすぎて首が折れそうだ。
今から完全な他責発言をするが、攻撃的な言動に触れやすくなったSNS社会では、棘のあるコミュニケーションに毒され、自分も気付かぬ内に人を傷付けてしまうことがある。
また、SNSや豊富すぎるエンタメ等、孤独を癒す代替手段に溢れている現代は、目の前にいる生身の人間との関わりを大事にする意識が希薄になりやすい時代でもある。だが、もし人生の最後を自宅や病院のベッドで安らかに迎えることができるなら、その時に一緒にいたいのは画面から出てこないアイドルでも、会ったこともない俳優でもなく、生身の家族や友人たちである。少なくとも私はそうだ。架空のキャラクターと結婚できる時代のため、「肉体」に固執する考えは、あくまでも価値観の一つに過ぎないことには、注意が必要であるが。
「目の前の君に優しくできるかが僕の戦いさ」と、「戦い」と表現されているところに、それが実は簡単なことではないというハンブレッダーズの価値観が垣間見える。


私は15歳くらいから精神的には何ら成長しておらず、体は25歳、心は15歳の逆コナン的なところがあるため、いつまでも思春期を引きずって理想と現実の狭間で苦しんでいるような彼らの歌に救われる。
人生を歩めば歩むほど、規律や道徳、世間体やプライド等、自分の行動を抑制しかねない鎖が四肢や胴体に絡みつく。
それらのいくつかは人間的成熟のために必要なものかもしれない。
ただし、いくつになっても忘れたくないことがある。
それは、私たちは本来、頭からつま先まで完全に自由なはず、ということである。


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