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【めくるめく】人は過ち、神は許す

 特にお仕事で、だれかがなにかの誤りを犯してしまうときがあります。
 再発防止策として、しっかり注意を払って二度と同様のことを起こさぬよう当人には厳しく指導しておきました、ということで済ませる人を数多くみてきました。

 でもよく考えたら、誤った人は誤ることが可能なプロセスにいたということです。それで、注意が足りないから誤った、というのであれば、注意深い人でないとうまくいかないプロセスであった、ということです。
 それを改善しないといけないと思うのです。

 お仕事のプロセスであるかぎりめざすべきは、注意深い人もそうでない人も、だれがやっても誤らない。誤ろうと思ってもできない。そういうプロセスが最も優れています。

 人は不完全なもの。
 常に注意深くあることはできません。
 人は注意深いわけではないことを前提に、プロセス自体を改善し、誤ることが難しいものに変える(または近づける)ことをして、初めてそれは再発防止策といえます。

 米国で働いていたとき、なにかの誤りをおかした米国人の部下の人に、もう誤るな、と言ったことがあります。
 すると彼はあきれて、I’m human !  I am NOT the God ! と叫びました。
 神じゃないんだから人はだれでも誤る。ぼくだってこれからも誤る。あんたはぼくに神になれというのか? 

 あなたのいうとおりです。
 改善すべきは人ではなくプロセスだということが、彼のひと言でよくよくわかりました。
 こんな合理的な考えができる米国人ってすごい。

 プロセスを改善せずに、誤りを人の不注意のせいにしてしまうと、再発防止にならないだけではなく、誤った人を責める気持ちが生まれてきてしまいます。
 けれども、人を責めることに生産性はありません。

 部下や同僚を責める人はプロセスを改善することをしないから、その分その職場では生産性が低くなっているはずです。
 欧米の国々に比べて日本の生産性が低いのは、こういうところに根があるのではないかしらん、と思うことがあります。

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