【めくるめく】自分を許したり許さなかったり
ペットが可愛くてなりません。
まあ、なかには爬虫類とか昆虫とかをペットとして飼っておられる方々もおられますが、ここでは犬とかネコのことを想定しています。
わたし自身はペットを飼っていないのですが、実家には犬とネコがいます。
犬はわたしをみると、もう、ちぎれんばかりに尻尾を振って走り回って喜びを表してくれます。わたしがしゃがむと勢いよく走って跳びついてきます。わたしがカウチにすわるとどこにいても近づいてきて、膝のうえにのります。でもすぐに飽きて膝から降りて、わたしの腰にくっついて座ります。
可愛いです。
ネコもいます。
ネコは犬のようにはしゃいだりはしません。ずーっと寝てます。
身体をモフモフしてやると、エステサロンでオイルマッサージを受けている人のように、目をとじてなすがままにモフモフされています。
モフモフの手を停めるとすぐに目をあけて、なにさぼっとんねん、といったような顔でわたしを見ます。再びモフモフするとまた目をとじます。
前肢に触れるとぺろりと舐めてくれます。ザラザラとしたあの舌ざわり、実はとても好きです。
可愛いです。
街を歩いているときに他の人の連れている犬やネコをみても、・・・あんまりネコを連れている人をみることは少ないですが・・・、犬をみても、可愛いと思います。たぶんほかの動物でもペットは可愛いのだろうと思います。
それなのに!
わたしはベジタリアンではありません。
牛や豚や鶏なども、わたしが飼育していたとしたら、きっとどの子も可愛くてたまらん存在になるように思います。
わたしはどうして肉を食べられるのだろう。
ふだんそんなに高級な肉は食べていませんが、肉はおいしいと思えます。
命をいただく、といいます。
生きるというのは食べること。食べるというのは命をいただくこと。
そういう摂理になっているのだからしかたない。せめて食物になった命に対しては感謝しよう。
そういう謂があります。
なんか欺瞞の匂いがします。
肉を食べたいという欲求は抑えられない。動物の命を奪ってでも食べたい。可愛い、愛でたいという感情よりも食べたい欲求がまさっている。
そのようにはっきり言うほうがむしろ潔いと思います。
もしも、実家のペットたちが食肉になるという日がきたとしたら、わたしは泣きわめくにちがいありません。
なのに。
自分を責め続けたくはないのですが、どうやって自分を許したらよいのでしょう。