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新垣結衣が演じる、もうひとつの「逃げ恥」 特殊な性的指向を描いた『正欲』を映画化


 正しい欲とは、いったい何だろうか。人気作家・朝井リョウのベストセラー小説『正欲』(新潮社)が映画化された。ポスタービジュアルには、英題として「(ab)normal desire」と記されている。どうやら、正常な欲望と異常な欲望についての物語らしい。

 朝井リョウは早稲田大学在学中に発表したデビュー作『桐島、部活やめるってよ』(集英社)が話題となり、東宝の社員時代に執筆した『何者』(新潮社)で平成生まれ初となる直木賞を受賞。その後、専業作家となり、作家活動10周年を記念して書き下ろしたのが『正欲』だ。すでに映画化された『桐島、部活やめるってよ』(12)や『何者』(16)などと同じように、複数の登場人物たちの視点から、現代社会に存在する目に見えない壁を描いた群像劇となっている。

 稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太(劇団EXILE)ら人気キャストたちが織り成すドラマがどのような形で交差し、つながっていくのか、観客は固唾を呑んで物語の行方を追うことになる。映像化は容易ではないナイーブな内容の小説だが、映画化に果敢に挑んだのは岸善幸監督と脚本家・港岳彦のコンビ。前作『前科者』(22)では、社会からはみ出した人々に寄り添う若い保護司(有村架純)の奮闘を描いている。今回も社会からどうしようもなくはみ出してしまう人たちに向き合った作品だ。

 映画は原作にかなり忠実な形となっており、3つのエピソードで構成されている。物語全体を見渡す、狂言回し的な役割を負うのは、横浜の地方検察局に勤める検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)。検事という職業柄、真面目な性格の寺井だが、家庭の問題で頭を悩ましていた。小学校に通う息子の泰希が不登校となり、「動画配信をやりたい」と言い出したのだ。妻の由美(山田真歩)も「部屋に引き篭もっているよりもいい」と息子がYouTuberになることを後押しする。学校に通わず、世間の道から外れると大変なことになると説く寺井だったが、息子の耳には届かなかった。

 広島のショッピングモールで働く桐生夏月(新垣結衣)は、これまで異性と交際したことがない。同居中の両親は夏月のことを同性愛者だと疑っており、腫れ物に触るように扱う。家の中にも、夏月は自分の居場所がなかった。そんな折、中学時代の同級生・佐々木佳道(磯村勇斗)と同窓会で再会。中学時代の出来事を思い出し、恋愛感情とは異なる胸の高まりを夏月は感じる。

 もうひとつは、大学に通う神戸八重子(東野絢香)と諸星大也(佐藤寛太)の物語。学園祭でミスコンの代わりに「ダイバーシティフェス」を八重子は企画し、大也が所属するダンスサークルに出演を依頼する。男性恐怖症の八重子だったが、なぜか大也にはそれを感じずに済んだ。どこか謎めいた大也のことが、気になる八重子だった。

サディストやペドフィリアとは異なる、変わった性的指向

 接点のない3つのエピソードが同時進行していくが、物語の中心となるのは夏月と佳道との関係性だ。夏月も佳道も異性愛者ではない、変わった性的指向の持ち主である。再会した2人は、そのことを確かめ合う。異性として惹かれたのではなく、同じ性的指向者として共鳴したのだ。恋愛とは異なるが、同胞と出逢えた喜びを分かち合う2人だった。

 いつまでも独身であることを家族から心配されていた夏月、職場で浮き気味だった佳道は、ある契約を結ぶ。周囲を欺くための偽装結婚だった。異性と一緒に暮らし、結婚指輪をしていれば、周りからあれこれ言われずに済む。セックス抜きでの2人の共同生活がスタートする。

 夏月や佳道が悩み、周囲にカミングアウトできずにいる性的指向は、かなりユニークなもの。映画を観ていると「えっ、そんなことで悩んでるの?」とつい思ってしまう。サディズムやペドフィリアと違い、他人を傷つけるものではない。原作と同じ設定なのだが、この性的指向を描いたシーンは映像的には美しく、逆に「悩むことなのだろうか」と思え、共感しづらいものとなっている。共感されにくいがゆえに選ばれた設定なのだが、物語としての弱さにもなっている箇所だ。ミステリー小説などで使われる、物語を進めて行くための要素「マクガフィン」的なものとして受け止めたほうが理解しやすいかもしれない。

 より多くの観客が共感を覚えやすいのは、夏月と佳道との共同生活シーンだろう。異性と付き合った経験のない2人ゆえに、初めてのルームシェアはどこかぎこちない。でも、ずっと孤独に生きてきた2人は、秘密を共有できるパートナーと一緒に暮らすことに心地よさを感じる。物語序盤は死んだ魚のような目をしていた新垣結衣と磯村勇斗の表情が、次第に輝き始める。

 新垣結衣が契約結婚する展開は、2016年に大ヒットしたTVドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)を彷彿させる。『逃げ恥』は偽装結婚から始まり、やがて本当の恋愛関係へと発展したが、本作の夏月と佳道との関係は非異性愛者のままだ。それでも2人は、お互いを生きていく上で欠かせないパートナーとして認め合うようになっていく。

これから広まりそうな新しいパートナーシップ

 本作を観て、中国の結婚事情を題材にしたドキュメンタリー作品『チャイニーズ・クローゼット』(15)も思い出した。「クローゼット」とは性的指向をカミングアウトできずにいる状態を指した隠語だ。中国は人口が多い分、同性愛者の数もかなりに昇るが、同性婚は認められていない。そのため、カミングアウトできずにいるゲイとレズビアンたちを集め、偽装結婚を斡旋する業者が存在することを同ドキュメンタリーは明かしていた。「アジアンドキュメンタリーズ」でネット配信されているので、気になった方は視聴してみてほしい。

 偽装結婚の是非は別にして、中国に限らず、日本でも他の国でも従来の結婚制度には当てはまらない形のパートナーシップが今後は広まっていくのではないだろうか。

 また、一時期は流行語のようにもてはやされた「多様性」や「LGBT」という言葉についても、本作は考えさせる。LGBTのどれにも当てはまらない人もいることから、LGBTQやLGBTQ+という表現もされるようになった。しかし、それらの言葉は、多数派の人たちが安心したいがためのレッテル貼り的な側面もあったように思う。自分たちが理解できない存在に対し、とりあえずレッテルを貼ることで差別化し、隔離する。多様性やLGBTQ+という言葉には、多数派が理解できないものをひとつに括ることができるという便利さがあった。

 原作ではダイバーシティフェスを成功させたことで自信を得た八重子に対し、大也は吐き捨てるようにこう言う。

「自分が想像できる多様性だけを礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」

 八重子と大也の間には、八重子が考えていた以上に深い溝が存在する。

 バラバラに進行していた3つのエピソードは、細い支流が重なって大きな川になっていくように、物語のクライマックスでひとつの流れとなり、大海へと注ぎ込む。検事の寺井は自分が正常な人間だと信じて疑わなかったが、他の二組と出会い、その信念は大きく揺らぎ始める。

 正常者とは、多数派の変態に過ぎないことに気づく。

 世間の常識によって、夏月と佳道とのささやかな共同生活はあっけなく壊されてしまう。だが、それでも2人は懸命に手を伸ばし、支え合おうとする。異性愛者ではない夏月と佳道だが、2人の間にあるものは世間一般の人たちが「愛」と呼ぶものではないだろうか。愛を欲することは、間違った欲望なのだろうか。

『正欲』
原作/朝井リョウ 監督/岸善幸 脚本/港岳彦 
出演/稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香、山田真歩、宇野祥平、渡辺大知、徳永えり、岩瀬亮、坂東希、山本浩司
配給/ビターズ・エンド 11月10日(金)より全国ロードショー
(C)2021 朝井リョウ/新潮社  (C)2023「正欲」製作委員会

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