なぜヴィーガンか? 倫理的に食べる
読んだ本
感想
なにが問題で論点か?
この本が主張していることは単純だ。
苦しみを感じられる生き物に、苦しみを与えるべきではないし、与えることに加担するべきではない。
この苦しみを感じられる生き物には、サルやチンパンジーといった人間に近しい生き物から、鳥類、魚類も含まれるかもしれない。当然、人間もそうだ。
この主張と食生活との関連性は、牛や豚、鶏などの動物を食べるために行われる一連の流れの中で「私たちは動物に対して苦しみを与えている、もしくは加担しているのだから、それをやめるべきではないか?」という点にある。
もっと視点を広げれば、動物の毛や皮、骨といった動物の体を加工して人間の道具に活用するような行為も該当するかもしれない。
わざわざその動物に苦しみを与え、人間のために利用しているのだから。
個人的に感じること
私は、わざわざ動物に苦しみを与えたいとは思わないし、加担したいとも思わない。
それを回避できるのであれば、回避したい。
ただし、人間とそれ以外の動物というような分け方は、あっても仕方ないとも思う。
人間と牛は違うし、人間と鶏も違う。牛と鶏だって違う。
人間が人間に対して行う非道なことと、人間が人間以外の動物に対して苦しみを与える行動(たとえば、鶏を食べるために狭い畜舎に閉じ込めて育てる)は同じではない。
自分がどうしたいのか結論は出ていないものの、今は矛盾した状態を抱えていることを認識した。
すなわち
人間も含めた苦しみを感じる生き物に対して、
苦しみを与えたくはないし、加担したくもない
苦しみを与えつつ、利用して、私は生きている
ということだ。
ヴィーガンになるために読む本でも、読んだからといってヴィーガンになる必要もない。
ただ、ほとんどの人は動物に苦しみを与える行動をしているか、加担していることは事実だと感じる。
自分が今どこにいて、何をしているのか。
知らないということをこの本に教えてもらった気がする。