燃え尽きようとも、また明日へ
スマホ依存、SNS依存……現代では依存というものがよく取り上げられる。かく言う自分もスマホ依存SNS依存(主にTwitter)であるという自覚は大いにあります。
「人間関係は特定の誰かに依存しすぎるんじゃなくて、色んな人と交流して分散していくのがいいよ」そんな文言もよく見かけます。そこでふと気付きを得ました。
これって趣味や人の介在しない超個人的な事柄にも当てはまるのでは?と。今回はそれにまつわる話かもしれないし、まつわらない話かもしれない。そんな日記的な記事(になる予定)。
どうも、近頃買っているCDが9割アルバムやサントラな、ごはんです。
某アイドルコンテンツ群にお熱だった頃はよくシングルを買っていましたが、現在そのしわ寄せが来てCD収納スペースが無言の悲鳴をあげています。収納スペース的にもアルバムや円盤のBOXって大正義だなぁ……(しみじみ)。
まずはじめに、『ゾンビランドサガ リベンジ』を先週完走しました。
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あまりにも素晴らしすぎる作品でした。でしたが、作品のあまりにも強いエネルギーを一気に浴びたからなのか、燃え尽きてしまいました。燃え尽き症候群とまでは流石に言いませんが、1期からの視聴期間中は作品から受けた"ポジティブバフ"が発動していて精神エネルギーも満ち足りていたのが、終わってしばらく虚無感に苛まれておりました。
似たような感覚を約2年前にも味わっているのですが、これは『天元突破グレンラガン』を一気見した時でして。
昔の自分の投稿を遡って見ても、グレンラガンを一気見した後は燃え尽きている旨の内容が散見されまして。ゾンサガもグレンラガンに近しいモノを与えてくれる作品でした。
『ゾンビランドサガ リベンジ』を見終えた直後は興奮と多幸感に満ちていたのですが、フランシュシュの2期ベストアルバムも通しで聴き終えた少し後から元気がなくなっておりました。
身も蓋もないことを言えば「一気見して疲れた」で済ませることはできますが、私はそれで済ませたくはない。ので、ぼんやりと理屈をつけていきました。屁理屈とは言わせない。
薪を大量にくべれば大きな炎が立ち上り、放出する熱も大きなものとなるが、燃え尽きた後の後片付けに手間がかかる。ハイカロリーな作品を見終えた後の虚無感は、この後片付け期間、整理中。
その整理がいったんついたのか、次の炎を用意しようとしている自分に気が付きました。『ぼっち・ざ・ろっく!』のTVアニメを見返そうかな~とか、ぼざろのまだ読んでない原作6巻読もうかなワクワク~とか、次へ向かうためのエネルギーを欲し始めていたのです。ポジティブな気持ちで。
小さめの炎であれば、燃え尽きた後の後片付けもすぐに終わるし、少しづつ薪を追加すれば長い間燃やせる。バランスが大事なんじゃないか、と。
そして、ここでようやく冒頭の依存の話に繋がるのですが、この一気見や猛烈にひとつの作品に入れ込んでいる状態って、ある種の依存状態なのではないか、そう思ったわけです。ゾンサガ視聴中の自分は、ゾンサガあってこその精神エネルギー上限解放状態だったわけですから。
依存状態というのは、対象の物・人・事象が無くなってしまうと精神に悪い影響を及ぼします。厳密には当然違うのですが、考え方のひとつとして。
身の回りのものは使い分けることで喪失時のリスクを減らすことが可能です。
作品に入れ込めることは良いことですが、度を超えると少し厄介な側面もあります。
で、私が主に強い依存状態を自覚しているスマートフォン。主にTwitter(X)を無意味に眺めている時間が長いのです。
思考停止状態でも指先を軽く動かせば新しい情報が次から次へと出て来るし、性癖ドストライクなイラストもたくさん見れる。活字もイラストもただただ惰性で口ぼけーっと開けて見ている時間を後で後悔すること、幾星霜。
何年もそれを続けてきて、最近、というか今日、ようやく思い至ったのです。
同じ活字やイラストを見るならば、家に100冊単位で保管されている未読の漫画や小説、イラスト集や設定資料集を見れば良いじゃないか、と。もっと複数の媒体に分散しようじゃないか、と。なんなら好きなアニメを見返しても良い。ぼざろとか、ゾンサガ……は少し時間を置こう、うん。
SNSというものは、自分の好きな時に見ることができて、自分の好きな時に切り上げることができるのがメリット。それは書籍や映像作品でも同様ではありますが、それらは中途半端な位置で中断するとあまり気持ちが良くないので、「ここまでにしよう」と切りの良い所を定める必要性が出て来る。
不連続なSNSは雑多で楽であるがゆえに、やめ時が曖昧になる。連続性のある書籍や物語は繋がりとある種の制限があり、やめ時は定めやすい。
新しい情報や絵を無為に見ているのならば、情報端末から離れてもっと分散させよう、本や据え置きゲーム、アニメでもなんでも。
さらにまたひとつ思い至ったのが、読書というのは、継続することによって"読後の小さな達成感を日常の中にたくさん生み出せる"のではないか、と。達成感というのは、大小問わず精神に良い影響、ポジティブさをもたらしてくれます。ポジティブこそ正義、というわけではありませんが、心身の健康には欠かせないものです。
スマートフォンをはじめとしたスマートデバイスは非常に便利で日常を彩ってくれましたが、一方で便利すぎるがゆえに、自制心や意思を強くしないと依存状態を生み出してしまいます。多少不便なくらいがちょうどよいのかもしれません。上手な付き合い方を地道に模索していくことが、今後の人類の課題なのではないでしょうか。唐突に主語を特大にするんじゃあないよオイ。
勢いでごちゃごちゃと並べ立ててきましたが、あくまで私個人が作品にのめり込み過ぎた結果と私個人の日常生活の問題をくっつけて書き散らしているだけの内容です、はい。
ゾンビランドサガは素晴らしい作品です。今後また見返すこともあるでしょうし、もっと多くの人に見てもらいたい超弩級の名作です。ただ、作品の癖自体はまあまあ強くもあり、死んでも全力で生きてやるというポジティブエネルギーに満ち溢れた作品でもあるので、見る人の精神状態によっては受け付けないこともあるでしょう。
私が今のタイミングでたまたまゾンサガを見たこと、作品が放っているメッセージやエネルギーをたまたま受け取れる状態であったこと。これらも相まって、これまでスルーしていたのも含めてある種運命だったんだろうと感じています。見るべきタイミングで見るべくして見た。たとえ推し声優の声をもっと聴きたいからという動機だったとしても。踏み出せあとはどうにかなるさ~!
あ、ちなみにゾンサガ2期のベストアルバムの中での最推し曲はホワイト竜さんの『風の強い日は嫌いか?』です。作品全体では『大河よ共に泣いてくれ』がいちばん好きだと思いますが、主題歌以外では竜さんの曲が良すぎました。フランシュシュver.も良いですが、竜さんver.は染み渡るゥ……って感じで。
気になる要素がひとつでもあればその作品に気軽に触れてみると、いいことあるかもよ。あ、自己責任でお願いします。
今回の記事のお供のサントラ。
作業用BGMとしては穏やかな曲が多いですが、100時間以上を費やしているゲームのサントラ。心地良く、世界観にもとても合っていて心に安寧をもたらしてくれます。フィリスのアトリエ、「長い旅も終盤だなぁ……」としんみりしながら個別EDを回収している最中ですが、まだ始めてから3カ月くらいしか経ってないんですよね……感覚狂うぜ……。
OP映像と主題歌の『flora』が好きすぎてほぼ毎回飛ばせずに見てしまう。初見時の映像、爽やかな楽曲で私の心は鷲掴みです。南壽あさ子さんのお声が良すぎる。今でも1日数回は聴いてる。
ゲーム起動しないと見られないと思っていたら公式の動画があった。けれども、ゲーム初回起動時の初見の感動に勝るものはないですね。
思ったより長くなってより怪文書の感が強くなってしまいましたが、まあ自由にゆるやかに送ろうレッツブログラ~イフ、ということで。
追伸
1期完走時に人生最大にして最初で最後のバズツイと思った投稿を軽く超えた反応のゾンサガ関連投稿。画像もハッシュタグもついてないんだぜ、これ。ゾンビランドサガよ永遠に……