「怖れを手放す アティテューディナル・ヒーリング入門ワークショップ」を読んで(読書感想文#19)
対人支援職で普段人の話を聴くことが多く、たまに何故かぐったりすることがあります。そんな中、「疲れない聴き方」として紹介されていたAH(アティデューディナル・ヒーリング)を知り、もう少し詳しく知りたいと思い、こちらの本を読みました。
▼怖れを手放す アティデューディナル・ヒーリング入門ワークショップ/水島広子著
以前にエッセイ漫画を読んでみて、なんとなく概念はわかったのだけれど、どうも実践に取り入れるのが難しくて。こちらの本は、実践ワークショップの内容をそのまま書籍にしたつくりになっていて、臨場感がある本でした。
自分のために聴く。人のこころの本質はあたたかいこころ
AHの前提は「自分のために聴く」ということ。聴くのは人のためじゃないの?となりますが、「自分のこころの平和を選択を実践する」という聴き方。これ、たぶんAHの大事なところなんだけれど、理解が難しかったです。
読み進めていくうち、下記の言葉で少しずつ分かってきました。
つまり、「あたたかいこころで聴く」ということじゃないかな。
これなら実践できそうな気がしてきました。
誰かのプロセスも、自分のプロセスも評価しないということ
人のプロセスも邪魔しないのが大事ということでした。泣いても怒っても、落ち込んでいても、それはその人が選択しているプロセスだから、好きにさせてあげる。
そして、人のプロセスもそうだけれど、自分のプロセスも評価しない。
ぐずぐず同じことを考え込んでしまって、「なんで私はまたこんなこと考えちゃっているんだろう」なんて思ったりしますが、それは自分のプロセスを評価しているということなんですね。
できるできない、分かる分からないも含め、自分のプロセスだから評価しない。必要な通り道というものがあるということ。だから、アドバイスしない。アドバイスは否定だから。なるほどなぁ。
それと、つらい話を聴いていてつらくなるのは「共感」ではなく「共鳴」。自分の過去のデータベースを参照しているので、相手の現在から離れているというのも、そっか、と思いました。
怒っている人は、困っている人
人間(動物)には攻撃されたら、闘争か逃走かという本能がある―これは聞いたことがあります。反撃したり、自己防衛や逃げに走ることは、結局どのみち自分が傷つくことになります。
それよりも捉え方を変えて、「そもそも怒っている人は困っている人、」と考えるのが興味深かった。攻撃してきた人なのではなく「どうしたらいいか分からなくて困って暴れている人」と見ると、自分は傷つかない。そして、これが愛の視点ということでした。
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しっかり読み込んだのですが、内容を全て理解できた感じはしません。
恐らく、ワークショップでその場の雰囲気を感じないと、実感できないような空気感がありそうで、体験してみたい気がします。
さてもともと、「あたたかい気持ちで人につながりたい」と思ってきた私は、それがこの本では愛と同じ意味で述べられていて、照れくさい感じがしました。
でも、つまりは愛を求めている、たぶんそういうことですね。
そうして、あたたかい気持ち起点、愛を起点として人の話を聴く、そういうところからはじめていきたいなと思いました。
ここまでお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
▼エッセイ漫画を読んだ時の感想文