僕の音楽人生はあの時代のまま【18】
昨夜息子がインテックス大阪で行われるコヤブソニックに行きたい!と言い飛行機のチケットの取り方や宿の取り方インテックス大阪がどこにあるのか?など聞いてきた。なんでも彼の好きな”ゲス極”やその他大好きなアーティストが沢山出るらしい。そのHPを見ていたら「曽我部恵一、わースチャダラも出るんやーTOKYO NO1 SOUL SET!さすが小藪同年代やねー」なんて思っていた。
しかしこの離島から大阪への旅には費用がかかる。なんやかんやでやはり足が出るみたいで後で返すからお金を貸してくれと借金の申し立てまでしてきた。あれー?パソコンが欲しいからといってお金貯めてたんじゃないの?まぁ普段(親から見れば)から無駄遣いが多いよね。その上借金までしていくなんて余程行きたいと思っているか何にも考えていないかのどっちかだなと。まぁ恐らく余程行きたくて何も考えていないんだろうと思うけど(笑)
「何言ってんだよー」と言う思いと同時に、「あーそう言えば俺もそんなだったかも?」彼とはちと違う(と信じたい)がバイト代全てをを音楽とバイクと外食に使ってたあの時代。
18歳。いわゆる地方の三流大学に進学した私は地方にも関わらず今思えば時代の流れに乗ろうと必死だった。それまでビートパンクだハードロックだとバンドブームがありそこから広がり洋楽かぶれな音楽趣味の中をひた走ってきた高校時代。しかし彼らに出会って「これはヤバい奴らが出てきたなー」と半追っかけ状態になり、出る雑誌や音源を手に入れてなんとなく”今”を感じている気持ちになっていました。その彼らとは”フリッパーズギター”小山田圭吾と小沢健二からなる音楽ユニットでそれまでドラマの主題歌などを歌っていて名前は知っていたが3rdアルバムの『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』を聴き、「なんだこの新しいような懐かしいようなふんわりしているかのようで終末感が漂う暗い感じ!?」と衝撃を受け、遡って手に入れたファーストも当時珍しかった全編英詩でおっしゃれなサウンドにハマり、音楽趣味人生のピークだった。音楽と生活が一体になってた感じ。そして忘れもしない初の全国ツアーのチケットを発売日に買い求め指折り数えた最中に起こった悲劇。なんと突然の解散宣言!嗚呼なんと言うことでしょう。喪失感と時代の終わりを感じました。
今思えば80年代後半から90年代初頭は生活の中で音楽の部分がとても大きくジャンルも多様化を極めてたギターポップ、パワーポップ、ブリットポップ 、メロコア、マッドチェスター、ネオアコ、グランジ、シューゲイザー、アシッドジャズ、ローファイ…あの時出会った音楽は今でもフェーバリットミュージックであり後に知るバンドや曲で気に入った物も結局はあの時代の焼き直し又はダイレクトに影響を受けたと感じ取れるのものが多い。