分からない事は分からないと言う
“コーヒーを飲むことで本当にこれらの病気を減らせるかまではまだわかっていません。”
定期的にコーヒーと健康についての記事がでますね。
これらはなるべく読むようにしてるのですが、ほとんどの記事で書かれてるのは、まだ分かってないという事。
主に医師が書いてる記事だとそのような傾向があります。
専門家でも、分からない事は分からないと言う。
これは凄い大切な事だと思います。
僕の場合。
コーヒー屋をやってるけど、コーヒーについて詳しい訳ではない。
カフェをやってるけど、他のカフェの事はほとんど知らない。
東京牛乳にこだわってるけど、牛乳に詳しい訳でもないし、経営をしているけど、経営の事もほとんど勉強してきてない。
ただ、知らない事、分からない事を知っている。
だから、知らない、分からないって言える。
これは意識してそうしています。
じゃないと勘違いしそうなんで。
知ったかぶりおじさんになりたくない。
調子に乗りたくない。
やってるからこそ分かる事がある。
やってるからこそ入ってくる情報がある。
それらを見て凹む事もしばしば。
あのカフェは凄いなー。
コーヒーのこだわり半端ないなー。
経営がうまいなー。
しっかりした考え方だなー。
それに比べて。
みたいな。
最近悩んでんのかな。
悩んでるんだろうな。
でも、僕は常連さんに助けられてる。
こいつちょっとやばいなって察してくれて為になる動画を送ってもらったり。
ありがたい。
ちょっと話がずれてしまった。
分からない事を分からないって言える。
それは、何を分かってないかが分かってるから。
それを知らずに何もかも知ってる、俺は正しいんだ。
みたいな発言を見たり聞いたりすると、すっと目を逸らす。
おい、また話がずれそうだ。
このへんでやめておこう。
『足るを知る』
この言葉で締めようって思ったら、意味が思ってたのと違った。
足りない事(分からない事)を知るのは大切ですよって意味だと思ってた。
“「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」”
こういう意味でした。
間違えてた事を、間違えてましたと言えた自分に拍手。