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教育—共育

本日は、題名で私のお伝えしたい事が
ご理解頂けそうなので簡潔にお話しを終えられそうだなと思っているのですが
結局いつも書き出すと熱くなって長くなりがちな
私である事をご了承下さい🙏w


早速本題に入りますが、
私は【教育】って、【共育】だなぁっと
つくづく感じているのですが


自分自身が指導していた時、
本当にたくさんの事を学ばせてもらったし
逆に教えていた人達から教わる事もたーーーっくさんあって、共に育てて頂いていたなって思うんです。


指導者にも色んなスタイルの方がいて
人それぞれが色んな手法で取り組まれていると思うのですが、


人は皆んな違って、本当に10人10通り、
100人100通りと言っても過言ではないぐらい
成功例があっても同じやり方では通用しない事もたくさんあります。

だからこそ個を理解し、それぞれの特性を活かしながら育てる事を試行錯誤していると思うので
それこそが学びであるとも思いますし


それ以外にも
「教える」というのは教える側にとっても
振り返りになり、当たり前を見直す良きタイミングでもあります。



当たり前のようにやっている事を教えるとなると、
マニュアルが無ければ
「まずどこから教えるのか」から考え
改めて手順やポイントも考え、伝えると思います。


そして、教える時は「なんでコレをやるのか」の、「なんで」を伝える事・考えてもらう事も
とても重要pointだと思うのですが

改めて伝えるとなった時
自分でも「なんでコレやっているんだろう?」
と、疑問が出てくる事も時にあります。
もはや、当たり前にやっていたけどコレって本当に
必要なのか?を、見直す事もできます。

違うケースの場合で、
教えた人から「なんでコレをやるんですか?」と
質問され、改めて考えた時
「いや、今の状況であればコレやらなくても良いね!」と、なった事もあったり

教えた人から「このやり方はどうですか?」って
新たなアイデアがでる事もあり
採用できる事・できない事もあると思いますが
そのアイデアから新たな方法やモノが生まれるコトもありました。

当たり前にやっていると気付けなかった事も
改めて向き合い、伝え方を考えたり振り返ったりする
事でそのモノゴトもしかり、自分自身も進化させる事ができるとても良い機会だと思うんです。

教える側も、教わる側も共に育つ
『共育』

よく、教えている人がイライラしている姿を
見受ける事がありますが
教える事にイライラする人に是非考えてみて頂きたいのが、


『なんのために今、自分は教えているのか?』


当たり前ですが、
その人を育てたいからですよね?
もしくは育てる必要があるから。


ゴールは
「教えた人が出来るようになる事」
そのゴール・目標に達した時と言うのは
「教えた人が育った時」
と、いうことは
「自分が楽になる時」
でもあると思うんです。


イライラする事もあるかもしれませんが、
自分を楽にするために、と思うとイライラしている
場合じゃないと私は思うんです。

それを踏まえて教える事ができれば
少しでも落ち着いて向き合えるようになれるのではないかなと思います。

もっと、イライラしない向き合い方や教え方の点でも深掘ってお話ししたいところですが
まーーーた長くなりそうなので、その辺も改めて
別のテーマでお話ししたいと思いますので
良ければ是非フォローもして頂けると嬉しいです🫶


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今日も最後まで読んで頂きありがとうございます🩷








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