読書感想文 『はじめて考えるときのように』

読む前

ずーっと前から amazon のほしいものリストには入っていたのだが、漸くそれをポチる日がきた。

少し前、建築に興味を持っていた時期があり、何名かの建築家の方がこの本を読み返している、ということをどこかで知り、リストに入れておいた。

タイトルから想像できるように、具体的な本ではなく、抽象的・哲学的な本である。自分としては、それを欲するタイミングというのには、結構波がある。

また建築に興味が湧いてきた、ということと、いまの自分に"抜く" タイミングが必要だと思ったからこの本を手に取った。

なんでも詰め込みすぎているときは、意識的に余白を作る。

じゃないと長いことやっていけないよね。

”考える” ということを考える、いかにも答えがフワフワしてそうでいいじゃないか。


気づき

考えるということは 現実からいったん離陸して
可能性へ舞い上がり そして再び現実へと着地する

そのための翼がことば


筆者の言っていることで、おもしろいな、と思ったところは

論理的に考えるというのは 矛盾している
論理的に答えが出るなら それは考えていることにはならない

という論理的思考に関する考察である。

僕の解釈的には要するに、
論理的に答えが出せる問題というのは、誰が解いても同じ答えが出るし、なんならコンピュータでも答えが出せる。だから、考える余地はない。

つまり、問題が出された時点で答えが出ているので、それ自体が問題ではなくなる、というパラドックス要素がある、ということである。

まぁこれは、”問題” というのをどう定義するかで解釈が変わるので、
問題自体をまずは問う必要がでてくる。

この問題自体を問う、という感覚は自分の中にもあったけれど、このように考えたことはなかった。いい問題かどうか見極めるのに使ってみよう。

「なんのために生きるの?」という問いに対して、
「じゃあ生きるってなあに?」みたいな。

この問題がはっきりしたとき、答えも見えてくる。
その問題をはっきりさせるヒントとして、その背景に目を向ける。


誰がいつどんな場所で、どんな文脈で言っているかで、だいぶ問題の本質が変わってくる。


否定というのは 可能性と現実のギャップに生じる

中々おもしろい表現である。

パッと見わかりづらいが、例をあげると割とわかりやすくなる。

例えば、「ぼくにはお金がない」というのも「ぼくにはお金がある」という可能性があって始めていえることば

そもそもお金という概念や、お金を持っている状態があり得ないのであれば、
「ぼくにはお金がない」ということばは出てこないだろう。

現実ベッタリで可能性がない世界には、否定もない。(すべてがあるがまま)
ことばがないなら、可能性もない。(ことばによって現実から離れることができる)

だから、ことばがないなら否定もない。


やること

問い自体を問うてみる。

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