【読書感想文】会社というモンスターが僕たちを不幸にしているのかもしれない。
キッカケ
ある先輩が持っていた本。
その方はデスクの周りに幾つか本を置いていて、僕は通りすがりに本のタイトルを見たり、中身をチラ見したりしていた。
この本は、タイトルがセンセーショナル。
ドキッとさせられる。
そう思う人は何かしら自分の中に課題意識を持っている人なのではないか、と思う。
会社の社長が自らこんなタイトルを付ける、ということは相当覚悟があってのことだと思ったので、興味を持った。
気づき
変える権力を手にするには「イてない人に選ばれ続ける」という我慢を積み重ねていかないといけない。
我慢レースに耐え、権限が強くなったころには、もうあなたの全盛期は過ぎている。
この2つの文章を読み、悪い意味でドキドキした。
何かを変えたい、という志を話すと「まずは偉くならないとね」と言われたことがあったが、同時に違和感を抱いていた。
それがこの本のおかげで認識できた。
偉くなっても社会を変えられるとは限らない。
むしろ、自分も変わらないための一部になっている可能性すらある。
現実に向き合うことで怖くなる。
全盛期が過ぎることと、機が熟すこと。
全盛期が過ぎることは怖いけど、機が熟さないと出来ないこともある。
全盛期だったはずの時期を腐った様に過ごしても、おそらく熟すことはない。
腐っているから。
”会社というモンスター” 経営者である著者がこうタイトルに付けることには3つの意味があると思った。
1. 他の経営者に向けた警笛
2. 被雇用者への救い
3. 自分への戒め
1. 他の経営者に向けた警笛
社会全体を良くしたいと思っているので、社会の在り方に本気で責任を感じている。
今の社会が今の状態であることに不満を持つだけでなく、自分の責任もあるだろうと考え、自分ができる範囲でアクションをしている。尊い行為だと思った。
夫婦同一姓は違憲だとする裁判にも原告に1人として参加しているようですので、社会へのコミットの仕方はまじで本気なので説得力がある。
2. 被雇用者への救い
自身の tweet はこの思いからだと思う。
被雇用者が我慢レースを強いられない会社を選ぶことができれば、自然淘汰で我慢レースの会社は少なくなっていくはず。
3. 自分への戒め
会社を経営している自ら会社をモンスターだと認識し、会社とは代表者と同義である、と言い切っているため、自己批判も含めた宣言のように思えた。
書籍として社外にも情報を発信することで、自分をどこにも逃げられなくしているところに覚悟を感じる。
どちらが正しいかではなく、両方を満たしてしまうような革新的なアイデアを探す訓練が重要
著者は交渉こそ creative な作業だ、と記していた。
その時は意味が分からなかったけど、この引用文によって理解ができた。
確かに、提示されている二者からどちらかを選ぶだけでは必ずどちらかを失う。
その思いまでも否定することになり兼ねない。
重要なのは訓練をする、ということだと思った。
常に両方を満たす作業をしなければならない、というよりは、普段からその訓練をしておけばいざという時にその能力を発揮できる、ということだろう。
そのためには、もし両者を満たすアイデアがあるとすれば、という可能性の世界に飛び立つ必要がある。
つまり、一度現実からジャンプし、現実に戻ってこれるように着地点を見つける訓練が必要だと思う。
やること
働く目的が問われるような哲学的本でもあった。
社会を変えたいという希望を持ちつつ、他人は変えられないという現実と向き合いながらその両者を満たす訓練をしていく、それが起業家の仕事であり、起業がアートである所以なのではないかと思う。
その両者を満たそうとするなんて、Crazy なやつにしかできないと思う。
Crazy なやつは大好きだ。
自分の環境を問い、訓練を続ける、とここに誓う。