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文芸翻訳に出会うまで③

少し話が飛ぶので③にしてみました。

私が文芸翻訳を勉強したいと思い、迷わずSOAS(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)を選んだ理由は、最初にお話を聞きに行った佐藤=ロスベアグ・ナナ先生に、「翻訳とは研究です」と言い切られたことだった。

ロンドンに来て間もない頃、文芸翻訳、という選択肢がぼんやり頭にありつつも、まだ現実味のなかった頃に、私は一冊の本に出会っていた。「星の王子さま」という日本語を生み出したフランス文学者、内藤濯(あろう)氏のエッセイだ。タイトルは、『星の王子とわたし』だった。

この本を読んで私は驚嘆した。
内藤さん訳の元祖『星の王子さま』を読んだことがある人ならばわかると思うが、あの本は詩のように美しくて、それでいて易しい。ファンタジーの世界から生まれたような言葉たちが、宝石のような物語を紡いでいく。ひと言の無駄もない、と、小学校の頃にこれを読んだ私は思ったものだった。無駄がないというのは、声に出して読んで、ひと言も読み逃したくない、ということだ。

それから別の訳も読んでみたことがあったけれど、どれほどきれいな文章でも、内藤さん以外の訳は全く頭に入ってこなかった。好みの問題だと思っていたし、実際そういう部分もあるとは思う。

でも『星の王子とわたし』を読んで、思い知った。それは心踊るエッセイなどではなく、サン=テグジュペリの生涯と精神性を追った、あまりにも緻密な研究書とも言うべき本だったのだ。序文はこんなふうだった。

サン・テグジュペリといえば、(中略)二十歳の頃から、航空に宿命的な情熱を傾けはじめた異常人だった。したがって、肉体を底の底までゆさぶった経験といえば、なん度とも数知れぬ搭乗機の不時着だった。見はてのつかぬほどまで拡がっている砂漠に向っての激突だった。
 したがって「星の王子さま」は、ただの作家の作ではない。航空士といたいけな王子とが、一週間そこそこ、人間の大地を遍歴する記録ではあっても、つまるところは、人心の純真さを失わぬおとなの眼に映じた社会批判の書である。

この小著は、サン・テグジュペリの生涯を追いながら、同時に私の心の中に住む「星の王子さま」を探し求めた私の生活の反映である。
内藤濯『星の王子とわたし』より


この本で語られている知識が、『星の王子さま』の中でひけらかされることは一切ない。

仏文学者なのだから当たり前なのかもしれないが、文芸翻訳について何も知らなかった当時の私にとって、これは凄まじい衝撃だった。あの軽やかな、子供に聞かせるような言葉の、それでいて人の心を揺さぶって仕方がない言葉の背後には、異常なまでに心砕かれた研究の山がある。今でこそ言えることだが、翻訳というのは言葉の置き換えではない。認識した事実を、風景を、思想を、自分の母語で語り直す作業だ。母語の引き出しが多いことはもちろん大事だけれど、原語を語っている人の精神性を極限まで理解しようとしなければ、正しい認識、「正しい」翻訳など、できるはずがないのだ。

内藤さんの翻訳が群を抜いて説得力を持つ理由が、ようやくわかったと思った。
そして、同時に希望が燃え上がった。文芸翻訳というのは、勤勉さと緻密さと一点集中の力が、自分がそこそこ得意とするものが、芸術に、人の心を動かすことに、直接寄与する仕事らしいのだった。

だからこそ簡単にはできないのだ。他者が生み出した芸術を自分の言葉で語るというのは、生半可な覚悟では許されぬことだと思っている。
ならば許されるまで努力をしようと、26歳の私は考えていた。そのためなら、自分はなんだってするだろう。それはやっぱり、ものすごく厳しい道だったし、今もきっと、私はスタート地点をうろうろしている。

認識できずにいた文芸翻訳への思いに突然火がついたのは、この本を読み終えたときだった。自分が言葉を愛して生きてきたこと、算数ができずに国語の読解ばかりが得意だったことを、一気に思い出した。やっぱり私の人生は『星の王子さま』に縁があるらしい。

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