Yukiko Tahara

ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)出身の翻訳者が、一冊の本に愛を捧げ、建てた目標との差を埋めていく日々の記録です。

Yukiko Tahara

ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)出身の翻訳者が、一冊の本に愛を捧げ、建てた目標との差を埋めていく日々の記録です。

マガジン

  • The Gift of Rain

    ロンドンで出会った大切な物語を、日本語に訳し切るまでのお話。

  • 書籍レビュー

  • 映画レビュー

最近の記事

  • 固定された記事

始まりと本と映画の話(はじめのnote)

2018年の春、私はロンドン大学SOASの図書館にいた。とある英文小説に出会い、これは、日本で映画にしなければならない、と思った。 よくそこまで飛躍できたと思うけれど、その思いは、四年以上経ったいまでも驚くほど変わっていない。 タイトルは、’The Gift of Rain’ 『雨の贈りもの』としたいところだが、この本における ’gift’ は、そう簡単には訳せないのだ。 マレーシア人作家 Tan Twan Eng氏のデビュー作、’The Gift of Rain’は、2

    • 『Silent Love』

      視力を失った音大生と、声を失った青年のラブストーリー。 決して派手な映画ではない、設定も少し現実離れしているけれど、それが全く気にならない。 細く伸びていくガラス管を澄んだ水に満たされつづけている、そんな感覚をずっと味わっていました。集中が途切れず、目が離せなかった。 主演の二人を始めとする俳優陣の繊細な演技がなければ成り立たない、その意味で本当に観る価値のあった、出会えてよかった映画でした。 山田涼介、ひと言も喋らないんです。なのに全身から伝わってくる感情や不器用さや

      • 二度目の始まり

        不思議なことはあるもので、 絶望の先に希望があるとはよく言うけれど、本当にそんなことって起こるんだな、と思った。 絶望の話は、8月のnote「最後の手紙かもしれない」に書いてます。本当にもう人生が終わるような気がしていた。 その後、ブックフェスで少し元気になったのち、半月ほど前に、お世話になっているマレーシア在住のMatahariさんからの突然の連絡がありました。(彼女のことも以前noteに書いています) マレーシアの日本語話者の友人で、The Gift of Rain

        • 『ムーンライト・シャドウ』

          生きていく力を本気で手渡してくれる小説には、なかなか出会えない。 吉本ばななさんの『キッチン』を読んだ。収録されていた『ムーンライト・シャドウ』も読んだ。SOAS時代の先生に頼まれたインタビューの翻訳をしていたら、話に出てきて、吉本ばななさんの作品は"quite funny"だというから、どんなのだと思って読んでみたのだ。 ついに、という感じだった。学生時代から書店の平積みで何度も目にしながら、何となく手が伸びていなかった本だ。ウィットに富んだ、フェミニズム的なものを勝手

        • 固定された記事

        始まりと本と映画の話(はじめのnote)

        マガジン

        • The Gift of Rain
          12本
        • 書籍レビュー
          2本
        • 映画レビュー
          3本

        記事

          実感を宿す(助詞と語尾を変化させる)

          太字の英語をどう訳すべきだろう。 To be loved like that makes all the difference. あんな風に愛されると、すべてが変わる。 少しも間違っていはいないけど、死んでいる文章。 これにどうにか命を宿らせようとして、 「あんな風に愛されると、すべてが変わるのだ」 などとやってしまいがち。それらしいけど、読んでみるとアンバランスだしすごく気持ち悪い。そして、実感が伴わない。 柴田元幸先生の「正解」はこうだ。 こんな完璧な訳があるだろ

          実感を宿す(助詞と語尾を変化させる)

          最後の手紙かもしれない

          先日、とある出版社の編集者に手紙を書いた。 その出版社は、マイナーだけれど、翻訳書や人文学系の素晴らしい本をたくさん出している。憧れの方も本を出されている。 昨年末に電話をかけて、色々と事情を説明したら、郵送で送ってもらえれば見ますよ、文字化けとかしたら怖いので、と言ってくださった。その気遣いが、それまでに経験したことのない温かさだった。 小さな出版社だから、最初は印税が払えないかもしれない、ともおっしゃっていた。 そんなことは問題じゃない。本来は良くないのだろうけれど、

          最後の手紙かもしれない

          英訳のお仕事

          素敵なものは日常にある。 そんな思いで世界中を旅される写真家、T.T.Tanakaさんの写真には、風景と人物の境目がないように思います。 そこがとても心惹かれるところです。 11冊目の写真集、ENCOUNTERS Ⅺ Together in Four Seasons(わたしたちの四季)が刊行されるにあたり、写真に付されたキャプション(エッセイ)の英訳をさせて頂くという幸せな機会に恵まれました。 もちろん、英訳だから一人ではできません。意味が通じるだけの訳なんて何の価値もな

          英訳のお仕事

          実写『リトル・マーメイド』 多様性が消えた世界

          押し付けられた多様性、というアイデアに対して、どんな答えが返ってくるのだろう、と思っていた。 実写『リトル・マーメイド』 美しい映像と音楽に感動したのはもちろんだけれど、私はこの映画を観て、エンターテイメントが「多様性」という概念そのものを吹き飛ばしてしまう瞬間に出会った。 映画として素晴らしいのかどうかは、上手く話せない。 私はとにかくワクワクして、びっくりするほど泣いて、感動ばかりが残ったから、最高の映画だった、と思うのだけれど(エンターテイメント作品に「感動」以上の

          実写『リトル・マーメイド』 多様性が消えた世界

          『夕暮れに夜明けの歌を』終わらない物語

          ※2022年9月に書いたものです。 (作品内容の少々のネタバレを含みます。) このエッセイ集という名の「文学作品」の凄みは、読者がいったい何を読まされているのか、最後の最後まで気づけない点にある。そんなふうに思う。 ロシア文学研究者、翻訳家でいらっしゃる奈倉有里先生の初の随筆集、『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス) 2002年、高校を卒業して単身ロシアに留学し、ロシア国立ゴーリキー文学大学を日本人としてはじめて卒業するまでの物語。他言語に出会うこと、その言語に生

          『夕暮れに夜明けの歌を』終わらない物語

          マレーシアと紡ぐ糸

          私はいま、とても恥ずかしい気持ちになっている。 そして少しずつ、インプットをしている。 マレーシア在住12年目の、尊敬するMayahariさん(ご本名も知っていますが、note上のお名前で書かせていただきます)とは、2021年3月に思わぬ形で知り合った。 2019年に、Tan Twan Eng氏の二作目の小説『The Garden of Evening Mists』が、台湾のトム・リン監督によって映画化された。 2021年3月にはようやく大阪アジアン映画祭にて日本初上映さ

          マレーシアと紡ぐ糸

          原作者との出会い

          2018年の春、この本に衝撃を受けて、何年かかってでも翻訳者になりたい、と無謀にも思ったとき、頭の中にある問題は一つだった。 それは、翻訳権が取られていないかということ、もしくは近々取られてしまわないかということだ。 ふつうの本の出版とは違って、翻訳書には翻訳権がある。それは著者が持っている場合もあるし、原作の出版社やエージェントが持っていることもある。 いずれにしても、日本で邦訳を出版するとなれば、日本の出版社が、この翻訳権を日本のエージェントを通じて原作側から買い取ると

          原作者との出会い

          ChatGPTと文芸翻訳

          ChatGPTの翻訳の精度に驚いて、さっそく試したくなった。 この子はこの文章を一体どうするのだろう。 ”I was born with the gift of rain, an ancient soothsayer in an even more ancient temple once told me.” これは、私が翻訳を試みている”The Gift of Rain(2007) ”の冒頭の一文。 この文章、きれいに翻訳するのは不可能という問題が含まれていて、どうやっ

          ChatGPTと文芸翻訳

          扉が開くとき

          ※作品内容のネタバレがあります 映画『BLUE GIANT』を観ました。 2019年にロンドンの大英博物館で開催されていた漫画展で、宮本大君がサックスを吹いている姿が壁一面になっていて、それがものすごい迫力で、以来ずっと気になりつつ、出会わずにここまで来た作品。 音楽には詳しくないし、ジャズもまだほとんど知らないけれど、ジャズという音楽が、これほどまで熱くて感動的な体験になるのだと知りました。プレイヤーの人生があってこその音楽だということも。 田中慶子さんのVoicy

          扉が開くとき

          「すべては自分次第」―藤井風さんの歌に寄せて

          ※LOVE ALL SERVE ALL Stadium Liveのネタバレを少し含んでいます。 言葉にならないことを言葉にするのは、とても苦しい。でもやっぱり少しでも書いておきたくて、ツアーの感想を書こうと思っていたのに、全然違う話になってしまった笑 少し気づいたことがあったのだ。藤井風さんの音楽に、こんなにもお世話になっている理由。 そして、説明のできない素晴らしさ。大好きというだけでは足りない。 「ロンリーラプソディ」という歌がある。 イントロの悲しげなメロディー

          「すべては自分次第」―藤井風さんの歌に寄せて

          誤訳

          誤訳、というのはすぐに分かる。 単純に話がおかしくなるからだ。 日本語として読める言語がそこにあっても、状況がおかしい。感情の流れがおかしい。行動がおかしい。何故そうなる? 何を言っている? そう思った箇所には必ず誤訳がある。 考えれば分かることなのに。登場人物の、存在の流れがそこで寸断されているというのに。分からないのにとりあえず言葉を置き換えるからそうなる。翻訳は言葉の置き換えではなく、解釈の映像を間に挟まないといけない。些細なことだ。その小さなひび割れから、物語全体

          「ラーゲリより愛を込めて」

          すごく素敵な映画でした。どこで観るのが正解なのか分からないくらい泣きました。。 戦争をどういう風に描いているのだろう、という興味があったのですが、観ているうちにだんだんと、これはそういう映画ではないのだな、と思えてきました。 戦争の結果として起こっている出来事を、悲劇を描いているけれど、その戦争自体が不可抗力としてそこにある感じが、表面的ではあるけれども、逆に良かったと思いました。 シベリアに抑留され、ソ連兵たちに酷い目に遭わされているけれど、それをことさら憎いと、ひど

          「ラーゲリより愛を込めて」