僕のあるべき姿とは何だ?
こんにちは、今日は「怪物」というYOASOBIを見て感動してずっとBeastersというアニメを見ていました。
Netflixに入っている方はぜひ見てください。おススメです
<あらすじ>
簡潔に内容を話すと、草食動物と肉食動物が共に生活する学校である日犯人不明の食殺事件が起こる。
その事件を追う主人公の繊細なオオカミ(レゴシ)は、ある夜本能に駆られ一匹のかわいい野ウサギ(ハル)に食べかかろうと襲い掛かる。
話が進む中で、肉食と草食のパワーバランス。肉食動物の欲と理性の中での葛藤など生々しい人間臭さを描いているのでお勧めです。
↑レゴシ
↑ハル
オスたちはみんなこの顔を見て「守ってあげたい」とか「俺が傍にいなくちゃ」とか勝手に思い込んで近寄ってきて…幻想と違うと分かると 食い散らかして去っていく
そう言うハルは、体を重ねている時だけきちんと自分を見てもらえているような感じがしてたくさんの男の子と関係を持つようになります。「ウサビッチ」として、女の子にたくさんいじめを受けますが仕打ちに屈せず自分でいられるとても強い女性です。
しかし、誰にでも体を開くウサビッチは誰にも心を開けていない。自分にはそう伝わってきました。
今日はBeastersを見て自分の感じたことを3つ書きます。
<男女の強さの違い>
ハルのような「か弱く小さい少女」像が、強い立場の動物たちの幻想になってしまっていること、その中で彼女がたくましく生きているのと対照的に
レゴシのような「大きくて強くて肉食のオス」は、力だけ見ると強者です。しかし食欲と性欲の両方と冷静に向き合い、抑制してひっそり生きている様子は、たくましく生きようとするハルの立場と対称的ですね。
<風俗について>
アニメの世界では、裏市場がありそこでは草食動物の肉を取引していました。普段は、おとなしくまじめに働いている肉食動物も裏市場では獣の本性を見せます。しかし、逆に言うと裏市場の存在があるからこそ現実社会では肉食と草食の共存を保っているのだと感じました。これは、実世界における夜の街の位置付けだと思っていて、政府もきちんと取り締まっていない。
たしかに、ある一面でいうと夜の街は国の秩序を維持しているのに必要なのではないかと思いますが、みんながハッピーってわけではない。自分、おうちが池袋にあるのですが風俗の女の子よく見かけます。一般の人で体を売ってそうって人もよく見かけます。建前と欲の飛び交うその世界で自分はどういきるべきなんですかね?
「怪物」の歌詞で、
清く正しく生きること 誰も悲しませずに生きること はみ出さずに真っ直ぐ生きること それが間違わずに生きること?
ありのまま活きることが正義か? 騙し騙し生きるのが正義か? 僕のあるべき姿とはなんだ? 本当の僕は何者なんだ教えてくれよ。
自分こういう歌詞に胸を打たれがちです(笑)(笑)
<権力のために人肉を食えるのか?>
あらすじ内では、お伝えしてなかったですがストーリーを進む中で草食動物が自分の仲間の肉を食べるシーンがあります。で、自分なら人肉が食えるのかってことを想像しました。結論、自分は食えるイメージはできるのですが、その時にはもう後戻りができないくらい心がすさんでいて。。
やってしまったら、もう二度と自分の世界観を綺麗に浄化させることができなさそうなのでやめときます。
<最後に>
自分の中で、一番刺さったセリフはハルがレゴシに言った
「常に死と隣り合わせの動物の気持ちなんてあなたには分からないくせに」というものでした。まだ、自分の中で型を付けれるほどまとまっているわけではないですが、自分の中に落とし込んでいきたいと思います。
ぜひ見てみて