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『SNSは終活である!』タナケン先生が SNSは遺書だ!と言い放った件

月曜日はキャリアについて語る日。

先日、プロティアンキャリア協会の『ミドルシニアのキャリア開発2.0』というウェビナーに参加しました。
いつもどおり、タナケン教授のマシンガントークが炸裂した上に、浅川顧問もまた物凄い言語量をブチ込んでこられたので、昼休みの1時間があっという間に過ぎ、13時からの就労モード切替えに苦労しました(苦笑)

最も頭に残ったワードが…
『ミドルのSNSは終活である。何を社会に遺していきたいか?』

VUCA云々を持ち出すまでもなく、不確実性の時代。
シニアが運転するハイブリッド車が『プリウスミサイル』と呼ばれる時代。
血液ドロドロ、内臓脂肪や PSA値を指摘されながらも放置したまま生活していますが、いつ何時、道端で心臓が止まるかも分からない…

SNSとしては、2012年11月からほぼ毎日Facebookを継続しています。
加えて、2021年12月にこのnoteブログを始めてから、週6日の投稿を続けています。
タナケン先生に薦められている Twitterは、アカウントを作って noteを転載していますがリプライもフォローもなし。
Instagramは、他人の投稿を覗き見る為だけにアカウント作って放置してます…

冒頭のキーワードをもう一度…
『ミドルのSNSは終活である。何を社会に遺していきたいか?』

『終活』を言い換えるならば、『遺書』です。
今この瞬間に私が生命を絶ったら、書き掛けのこのブログが私の遺書になるんですね…。
いや、書き掛けの原稿はアップしてないから、昨日迄にアップしたブログが遺書になるのか。
『最新iPhoneが高くて買えない話し』(笑)
恥ずかしいなぁ(苦笑)

考えてみれば、昨年頃までの Facebookはラーメンか鰻丼を食べた話しばかり。ラーメンは年間70杯を投稿した年もあります。
将来、遺された家族がそれを読んで、『あぁ、父はこんなにもラーメンが好きだったんだなぁ』と。
そんな風に偲ばれるのか…

プロの著作家のように形としての書籍を残さなくても、私の書いた文章は Facebookと noteに残り続けます。
そう考えたら、他人に見られて、また家族に見られて恥ずかしいものは残せません。
まあ、Facebookは食べたもの・行った場所・観た映画等の感想程度の日記ですが、noteはもう少しオフィシャルな私の表現物になります。
今、書いているこの文章が後世に残ると心して、より一生懸命に書いていきます!

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