#Functionyou;diVe -"Pieces"-2
結局何も口にしないまま早足に駅に飛び込んで、電車に乗った。
飛び乗った電車の行き先はかろうじて間違えてない。
だってあんな街に1秒たりとも長く居たくない。
どうせもうディナーも済ませてきたんだろう。この後、二人はどこかバーにでもいって、二人の部屋に帰るのだ。一緒に住んでないのは知っているけど、それだって本当?
どちらかの部屋だとしても、それは今夜二人の部屋。
二人とも、笑顔だった。対するあたしの顔は、自分でも見たくないほど酷いんだろう。
どんなメッセージのやり取りをして、どれくらいの数のやり取りをして、どんな電話をして落ち合って、どんな会話をしながら食事をして、どんな声を出している彼を見つめているんだろう。どんな目であの人を見つめているんだろう。あの人はどんな瞳で。
きっと何一つ、その全てが、あたしの前とは違うんだろう。
その道を選んだのはあたしだ。けど、選んでくれたのは柊哉だ。ならもう少し、あなたの心の近くに座らせてくれてもいいのに。眠るときに、抱きしめてくれていいのに。
それさえ、あなたはしてくれなかった。
あたしの体が嫌いなのかな。それなら抱いてもくれない、と思うけど、それはない。何度かの逢瀬は間違いなくあったから。だから必要とされているって思っていたけど、あの顔を見てしまったら、あたしの眼に映るあなたの笑顔やいろんな表情が、全部全部仮面に思えてくる。
極端に、ネガティブに入っていることを自覚して、いけないと思いつつも、その思考は止まらない。
誰かに隣にいてほしい。
ううん。
誰かじゃない。
柊哉に、今この瞬間、手を握っていて欲しかったんだ。
電車は、自動的にあたしの最寄駅をアナウンスする。
もう次の駅だった。
無意識にそのアナウンスに体が反応するけれど、どうせならいっそのこと、どこか知らないところまで連れていってほしいと思う。このまま、最寄駅への到着も無視して乗っていたら、どこに連れていってくれるかな、なんて思うけど、せめて眠れなくても、自分の部屋のベッドまではたどり着こう、と思って、思い切って降りた。
都合のいいお話なら、ここで知り合いとかにあったりして、飲みにいって、甘えちゃったりするんだろうけど、あたしがこの街を住処に選んだのは、そういう人がいないから。そして、作る気もなかった。
祐巳に言わせれば、それだから視野が狭いのよ、と言われるけど、他人の影響も、他人に流されるのも、そこまで心地いいものじゃない。納得できるならいいけど、そんなことはそう多くなかったし。
知り合い、かぁ。
柊哉がいてくれれば、と、また反射的に思ってしまう。
あんな笑顔を見ておいて、絶望しておいて。それでも思う。
自分で言うのもあれだけど、こんなに心が細いのに、あなたへの思いばかりが莫大なまでに背中に乗っている。背負う心が折れそうなくらいに膨れ上がっていく。本当なら抱えるべきなんだろうけど、 それを背負っているように感じてしまっている。負担、なのかな。
今更に自覚する重い十字架の冷たさが背中を刺したような気がしてふと振り返ると、先ほど乗ってきた電車が速度を上げて走り去っていくところだった。
お腹は空いてるけど、食べる気も起きない。
地下鉄のホームから階段を上がり。
無意識に自動改札を通る。
適当そうな男の人が何かナンパみたいな声をかけてきたけど、そんなものはいらない。
アルミ箔じゃない。プラチナが欲しいんだあたしは。
結局コンビニで食料を確保したあたしは、まだ理性が残っているんだろう。
こんなにダメージを受けているのに、現金なやつ。
どさり。
リビングのテーブルにそのビニール袋をおいた。こんな風に柊哉への想いも降ろせたら、こんな思いはしなくて済むんだろうな。シンとした自分の部屋が、まるであたしを脅すみたいに静寂を突きつけてくる。
”結局のところお前は独りなのだ。自覚しろ。我儘なんて通ると思ったか。今のお前は罪人でしかない。断罪してやるから首を差し出せ。そうすれば楽にしてやる。"
そんな声が静寂から頭の中に響くような心地。悪いのはあたし。
悪いのはあたし?共犯でしょう?なのに。なのに…。
脚から不意に力が抜けてしまって、ソファに座り込む。一旦は座った姿勢を保とうとするけれど、やっぱりそのまま倒れ込んでしまった。
上着も脱いでいない。スキニーの締め付けがまだ休むなって訴えてくる。
けれど全部無視して髪をかきあげて、気づいた。
柊哉からもらった、ブレスレット、つけてたんだ。
外してしまえこんなもの、という気持ちと、今はせめてこれだけにでも縋っていたい、と思ってしまう心が喧嘩する。
弱い弱いあたしは、もうその上で体温を共有したはずの合皮貼りのソファの、こめかみにあたるところが少し冷えた気がして、泣いていることに気づく。
だめだ。涙を自覚したら、今のあたしは壊れてしまう。
それまでの気だるさが嘘みたいに上着からブラウスもキャミソールもスキニーも下着まで全部脱いでバスルームに駆け込んで頭から暖かくなる前のシャワーに突っ込んだ。
雨でも降ってくれていればよかったのに。
そしたら、一人の部屋で、泣くことなんて。
隠される涙の跡。痕。これはいけない。完全に負けを認めてる。勝てる自信なんてない。けど、負けを認めたら、あたしはもう柊哉に会えない。
今夜が勝負か、と思う。あなたは何も知らないだろうけど。
暖かくなってきたシャワーに、少しホッとする。
まだ、何かが暖かいと感じられて、それに安心できるくらいは冷静なのだと。まあ、食事を買ってきた時点でそうなのだけけれど。あたしの体を伝って排水口に流れ込んでいく水流を見ていると、昨日の夜が想起された。昨日は、その光景をこんなに意識しなかった。触れられた、触れてくれたことに酔い切っていた。あんなに幸福な時間は、そうそうあるものじゃない。けれど、その後すぐにあなたはこの部屋を出て行った。その後だ。ワイングラスを割ってしまった。あれからの不運なのかな。今日の二人を見なければ。あと少し早く会社を出ていれば、まだメッセージのダメージだけだった。もう少し遅く出ていれば、あたしはあのメッセージに返信をしながら電車に乗る前にお腹を満たして、声が聞けないことによる落胆を、食事によって少しでもフォローできていたのかもしれなかった。
けれどそれは残酷に、あたしの目の前にはっきりと見せつけられてしまった。
短い付き合いではないけれど、それほど長いわけでもない時間の中で、初めての光景。その事実を察してはいたけど。目の当たりにするのがこんなにきついなんて。柊哉がまあそこそこ好きなのがあたしで、愛しているのが彼女であることなんてわかりきっていたこと、という思いが意地になって、自分を納得させるためだけの言い訳でしか無くなっていたのかもしれない。その地位を奪い取ることすら考えたことがなかった。
祐巳の、優先順位という言葉が頭の中にぼんやりと浮かび上がった。
それは、きっとその時点で相手に対して考え切ったと断言できるからこそ出せるある種の結論だろう。そこから付き合い、コミュニケーションを重ねていって変化があるとしても、変化があるのは結局として、相手がその判断材料をくれるからだ。しかし、あたしは、少し違う。相手の深淵を見つめられる情報なんて、ほんの一握りしか出してこない、そこに彼女の存在というあなたの中の壁がある。そんな立場のあたしが優先順位の精査をできないのは当たり前だけれど、そんなところに甘んじているわけではないとしても、それができるくらいに立場を更新することができるのだろうか、と疑問に思う。改めて、自分の立場がここまで圧倒的に負けているなんて、見逃してきただけなのか、見ないふりをしてきたのか。
今のあたしの心境で決めるなら後者だけど、その決定を否決したいあたしが今は圧倒的に強い。
涙が止まらない感覚はある。シャワーに紛れて、視界に明らかに涙だという水滴は捉えられないけれども、それに救われている気もする。お前の悩みなんて、せいぜいこんなものだぞ、という何かからの圧力が、ただでさえうなだれた肩を床に押し付けて背中がもっと猫背になっていく。
気付けば、シャワーが頭から外れていて背中ばかりに当たっている。もっと向こう側は無駄に流れているだけになっていた。
寒くて、胸を抱く。この胸だって、あなたは触れてくれたのに。それなのに。あたしは、あなたに触れて欲しかったのに。それなのに、まるで今想像するそのあなたの指先は、想像だけでも怖いくらいに、凍りついている感じすらしてしまう。
結局、やはりあたしは。
あなたの一番には、なれないんだと思うよ、柊哉。
そんなこと、ねだったことはないけど。
だからあたしは、結局格安のレンタル衣装で終わるのだろう。
寒いシャワーを終えて、あたしは体を拭いて、髪を乾かした。
思ったよりも体の物理的な温度は温まっているけど、相変わらず、 洗面台の鏡に映るあたしの顔は絶対零度と言っていい。ひどい顔。メイクも落としてしまったから、マスカラもアイシャドウも落ちているし、書いた眉毛も削げている。コンシーラーで隠した少しのそばかすもあらわになり、ファンデーションで隠していた少し青い顔色も、今は素直にそのいらない才能を発揮している。こんな不細工なあたしでは、確かに柊哉に一番にされなくても仕方ない。
気持ちはずっと続いていて、正直かろうじて髪を乾かしたくらいだったから、もう化粧水も乳液も面倒臭い。そんなに整えても見て欲しい人も触れて欲しい人も、きっと高い高い壁の向こうで幸せに暮らしているのだ。
冷蔵庫を開けてみると、昨日柊哉が残していったビールが二本残っていた。そのうち一本を取り出して、その場でプルタブをプシッとして思っ切り煽る。
あ、空腹なの忘れてた。
リビングのテーブルを見やると、重力に引かれてうなだれたように見えるコンビニのビニール袋に包まれた今日の食料が見えた。
そこで、あの光景をまた思い出す。
あの二人はー。
自分でもびっくりするくらいの速度でシンクに飛び込んで、今飲んだものどころか、胃の中にあるものを全て吐き出してしまった。
息が荒くて、背筋と腹筋が痙攣する。鼻の奥が、胃液にやられて痛みを訴える。キリキリする。
なんて無様。
こんなことをするために愛しているんじゃないのに、これが訪れる柊哉との時間を、それでもあたしはまだ大切に抱えたいって思ってる。
もういいや。
そう思って、まだ半分も飲んでいないビールの缶を持って、コンビニの食料を貪り始める。
本当に惨め。
外から見たら、たかだか男一人のことで、25歳の週末に差し掛かる1日をこんなふうに使うなんて。
でも、嘔吐から復活したあたしの胃腸はコンビニの五穀米弁当とサラダともずくを飲み干して、さらに缶ビールを一本、空にした。
少し、別のことに没頭したせいか心が落ち着いた気がした。
ちくしょう。
なんでこんなに、寂しくいなきゃいけないんだ。って思って、それは、あたしとあなたが選んだ道を進むことで、当然のように見えてくる風景であるのは、分かりきったことだったのに。
なんでこんなに。
苦しいんだろう。
結局は、あたしは冷たいベッドで眠ることに決める。
温度の上がりすぎた水の中じゃ生きられない、魚みたいに。
本当なら、望む温度はあるんだよ。けど、そんなものは、今のあたしには手に入らない。
夢は夢のままで。
泡沫のように消えていくだけ。
深夜0時。
もう、それぞれの時間だろうけど、少しでもあたしを欲していてくれているならって思って、ついメッセージアプリを開くのは、真っ暗な寝室のベッドの上の隅に、横向きに空白を向いているあたしの指先。
目が真っ赤なのも承知している。
この時間に祐巳にメッセージしても、届かないのも知っている。
嫉妬なんかない。
そんな権利を得られるほどの、恋なんてしてない。
だからいい。
けど、これだけは。
0分前
唯花
“ねぇ、近いうち、なるべく早く、会えないかな”
向こうがそのメッセージを確認した通知は来ない。
一時間待っても、二時間待っても。
あたしはその間ずっとその画面を見ていた。
いい加減、自分が気持ち悪くなって、起き上がる。
ワインがあった。そうだ。もう飲んで寝てしまえば。怠惰に過ごしても誰にも怒られない朝が来る。もしくは、山南さんに付き合って出社してもいいけど。
のっそりと起き上がる。
ドライヤーで乾かしたはずの髪が、明らかに寝癖を作っている感覚を頭皮に伝えてくる。
眠くない。
ベッドを降りて、キッチンに向かう。照明なんて灯っていなくても、歩ける自分の部屋。
全然眠くない。
そのままで、キッチンに進む。
ただ、愛しいだけなのに。
初めてこの部屋に来た夜、そうしたように、あたしの衣服を、少し乱暴に剥ぎ取って欲しかった。
その力と熱に、やられてしまいたい。
誰でもいい、って思いたかったけど、やっぱりそれは柊哉だけだった。
冷蔵庫のワインに辿り着いたあたしは、適当なコップを食器棚から見繕ってそそぎ、一口つけた。
ぐわ、フラッシュバックした。
失敗した。あたしは失敗した。
今このワインは、飲んじゃいけなかったのだ。
これは昨日、柊哉とこの部屋で食事した時のものだ。
失敗した。
くそう。
もういいや。
そう思って二杯目を煽るようにして飲んで、そこからゆっくり記憶が曖昧になった。
キッチンの床に座って、ぼーっとしていた。
眠くない。全然眠くない。
あたしを眠らせてくれる熱は、どこかに去ってしまった。
ふと思い出して、空になったグラスもワインボトルも放り出して、ベッドに駆け込むように飛び込む。
スマホの画面をつけてみた。
午前、5時前。
通知は、何もなかった。
きっと当たり前なのだ。これが。
諦めて、毛布を思い切り頭まで被る。
誰もいない。
誰もいないけど、その嗚咽は、きっと世界に存在してはいけないものだから、掻き消さないといけないのだ。
涙があたしの熱も体力も奪って、ゆっくりと、闇に堕ちていく。
夢は見なかった。
気づけば日が昇ってしばらく経っている。
今朝と同じようにスマホで時間を確認すると、午前10時を回っていた。
通知は、それでも、やっぱりDMばかり。
諦めに満ちた心地で、アプリを開いてみると、メッセージは開封済みになっていた。
その瞬間。
0分前
柊哉
“昨日は電話できなくてごめん。会社の飲み会で、朝までだったんだ。もし君さえよかったら、今夜とか、どうかな?”
嘘つき。
知ってるんだから。
今までで一番、自分らしい格好をして、今夜会うことに決めた。