硯考 書と禅
今回は大森曹玄 著「書と禅」を参考に気韻生動について考えてみます。
大道に入る門はなく、多くの道があるだけだ。
無門の関を透過して、天下に一人歩くだけ。
気韻生動とは気品、風格が生き生きと感じられることです。何かの道に徹するということは厳しい修練が必要です。それに耐えて高い境地に達し、無意識に書に取り組んだとき、その人の内に積み重ねられたものが純化し表出されることがあります。気韻の備わった作品はその鑑賞者に深い感銘を与えます。
ではその「気」とは何なのでしょうか。
気というのは、現実の世界から離れた高度に抽象化された形而上学的な概念です。気の捉え方は様々ですが、ある種の生命的エネルギーと考えれば理解しやすいと思われます。気はエネルギーですからいろいろなものに集散します。
ようするに、気韻生動を技法よりも重要なものとみなし、人間形成に努めることが不可欠であることを説いています。
つまり、問うべきものは人なのです。
人間の原点、それ以外に私たちが問うものはないということです。