音楽家が『罪と罰』から得るもの3選!【音楽家コーチング】
『罪と罰』
有名な『罪と罰』はあらすじはご存知でしょう。興味がない人にも分かるように説明すると、金貸しのばーちゃん殺して「俺は天才だから何やってもいいんだ!」と思い込んでるやつが、刑事コロンボみたいなのが出てきて自首させられる話です。(ちなみに刑事コロンボのモデルはこの小説です)
キリスト教
まず、キリスト教教育を受けていないとチンプンカンプンでしょう。だから日本人音楽家はただの推理小説というか古畑任三郎的な読み方しかできないんです。例えば
「聖書を読んでくれ!」
とか言われても
「じ、自分で読めよ・・・」
って思いますよね。こういう宗教文化の解釈のなさがヤバい部分です。
黙読すると内なる声を聞くことになりますが、音読する、さらには他人に音読してもらうと神の声を外部から聞くことになりますよね。
このような視点を過去の作曲家がどのように音楽に取り入れてきたかを考えるきっかけを作ってくれるのが『罪と罰』です。
ユダヤ教との違い
4世紀にローマの国教がキリスト教になってから音楽が発展したんです。ユダヤ教の時代じゃないんです。違いはなんやねん?
死んでも特定の日に復活するのがユダヤ教
死んだらいつでも復活させられるのがキリスト教
この視点だけでも知ってから読んだらゾッとすることばかりですよ。あれ?ドストエフスキーってオマエ自分がキリスト教信じてないだろ?って思います。
こういうイデオロギーの差異を用いて巧みに文学、音楽、絵画、舞台芸術などは操作されているというのを知るきっかけを作ってくれるのが『罪と罰』です。
土着の音楽
『罪と罰』だけでなくドストエフスキー作品には何度も「大地にキスをするシーン」が登場します。これがアンチ・キリスト教なんです。土壌主義なんです・・・でも、民族主義じゃないんです。だって、たくさんの民族がロシアの地にはいますからね。ロシアの地にいる人を大地単位で考えるから「土着の音楽」ってのができるんです。
ムソルグスキーとか聞いたらなんとなく分かりませんか?
研究論文書いたことがある人は分かると思うのですが、「巨人の肩に乗る」という言葉があります。全ての過去の研究の上に自分の研究をちょこんと乗せるのです。文学や音楽にすべてこの概念が使われています。
自分が乗るべきなのはどのような巨人かを知り、いかにその巨人が大きいかを知るきっかけを作ってくれるのが『罪と罰』です。
まとめ
若い音楽家達よ、いかに自分が表面的な音楽しか考えていないかわかるでしょうか?
気付くも自由、無視するのも自由です。
でもね、30年後に大きな違いなって現れるんですよ。
最後までお読み頂きありがとうございました
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