音楽家として労働を批判する理由【幸福論から怠惰への賛歌へ】
津本幸司
はじめまして、私は一昔前に音楽家で生計を立てて引退をした津本幸司と申します。この記事では私がなぜ「労働」を批判するかを説明します。この
記事を読み終わったら辞表を書く兼業音楽家がたくさん出てくることを祈ります。
ラッセル
お気付きの方はいらっしゃると思いますが、私はラッセル派です。この時点でお気付きの方は少し独自の解釈が入りますので、どうぞ他の記事へ行って頂ければ誤解を生まずに済むと思います。
過重労働
過重労働を批判します。これが常識と考えていること自体おかしいと考えます。
ギリシャ神話から、新約聖書から現代哲学においてまで、働く事を美徳として、怠惰を批判する言葉が溢れています。
支配者層は何もしていないのに報酬を得ています。これはこれでおかしいということが大切な所です。
労働者がダメで、支配者層がオーケーという意味じゃないんです。労働者がダメで、支配者層がもっとだめ、つまり働く方も、働かせて金をぶんどる方も両方ダメというのが主張です。
支配者層の思惑
支配者層はこのテクノロジーが発展した時代に、少しでも安く、少しでも長時間労働者に働いて欲しいのですが、それに「はいはい」という人は誰も居ません。どうすればいいか
「働く事は美徳ですよ!」
と植え付ければいいのです。これが現代社会です。
ウソ!
労働が美徳と思ってる人・・・聞いてください。
もし、労働が美徳なら、工事現場のオッサンは王様のように崇められなくてはいけません。早朝から建物の解体作業をする中東からの出稼ぎ労働者は神の扱いを受けて当然です。(ラッセルの応用引用です)
ちがうでしょ?
余暇を作る
私は余暇を作ることを推奨しています。私は朝から晩まで「余暇」を過ごしていると思っています。そして生産性のないことをやる時間が多いに楽しんでいます。こちらが証拠です。
余暇を作る重要性は3月末に発売の「音楽家の時間管理術」にて記載しました。少しお待ちください。
学習
学習って何か分かります? 私は生涯学習推奨派です。この時点で
「あれ?暇を作れっていってるの? それとも学べっていってるの?」
と矛盾を感じた方は末期の日本人労働者です。
酒を飲んだり、おしゃべりを楽しむことと同義なのが学習です。(ラッセルの応用引用です)暇な時に楽しいから学ぶんです。これが学習のあるべき姿です。いつのまにか学習が「子供の頃からの義務」になってしまっていますよね。これが労働修行所として、労働者階級生産所としての現代の教育です。
生産性があるから生活?
これでもなお、「生産性があることをやるからこそ生活ができるんだ!」「余暇など金に余裕があるやつのイヤミだ!」「労働の何が悪いんだ!」「労働こそが美徳だ!」と反論する方へ質問です。
あなたはなぜ
音楽
をやっているのですか?
津本幸司
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ならべてすみませんww