ゲゲゲの謎が見せてくれたサイバーパンクの反骨心(ネタバレ有)
一昨日、なにやら評判になっている「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を見に行ったのだが、まさか今年最高の映画になるとは思わなかった。あまりの衝撃にその翌日もまた見てしまった。水木しげる不在の中、あんなものを描いてしまったスタッフたちには頭が上がらない。
社会風刺を超えて人間の本質を問いただし、人類にはびこる「因習」を打ち破ろうというパンクな精神……これほど筆者の中でグツグツと渦巻いていたケイオスを刺激する作品は他になかった。これはまさしくA.I.とかV.R.の誕生でサイバーパンク元年を迎えた我々に向けた作品というほか無い。
ちなみに本作は一応6期鬼太郎の前日譚ということだが、大筋はガオガイガーとベターマンと同じくらい離れているので前提知識は必要なかった(しかしやけに前提知識を警戒しなきゃいけない昨今の風潮も考えものだ)。むしろ導入部の鬼太郎パートと本編の昭和パートで温度差がありすぎてビックリするくらいだ。
今作はいわゆる因習村が舞台となっているが、実際は高度成長期の日本のあり方を問いただす内容となっており、先の大戦で敗戦を喫した日本がどのような心理状況で「復興」を遂げてきたかが克明に描かれている。
反骨心に目覚めた男、水木
主人公の水木は戦争上がりかつ、成長期で活躍するモーレツサラリーマン。会社でトップに立つべく野心を抱いて日々邁進しているが、その一方で戦今なら問題になりかねないレベルのPTSDを患っており、戦争のトラウマがたびたびフラッシュバックする。だが彼はそんな惨めな思いをもうしたくない、誰にも踏みにじられない力が欲しいと馬車馬の如く働いているわけだ。
今回、村に踏み入れたのは龍賀一族が秘蔵する不老不死の薬「M」の謎を追うためである。
そんな「力」を渇望して底辺からのし上がってきた水木はチャンスを掴むべく因習村の謎に迫ろうとするのだが、村でゲゲ郎(鬼太郎の親父)と出会い、共に村の狂気に直面する内にやがてその心はヒトのカルマを打ち破ろうとする反骨心へと変わっていく。
未来に伝え残す男、ゲゲ郎
鬼太郎の父親、もといゲゲ郎は常に飄々としていて、生き急ぐ浮世の人間と対照的である。なんと彼は村の侵入者としてひっ捕らえられ、いきなり公開処刑されそうになるところで登場し、水木の一言でなんとか一命を取り留めた。導入部で廃墟と化した因習村に踏み入れた人間に鬼気迫る鬼太郎が印象的だったので、彼も部外者だったとは見事なミスリードだった。
ゲゲ郎は人間とは異なる幽霊族の生き残り。もう一人の生き残りである妻を探してこの村に降り立ったという。もちろん妖怪とも仲がよくその手の怪異には慣れっこなため、妻のためとあらば村人が禁域と恐れる島にも平気で足を踏み入れてしまう。
見えない物が見えるゲゲ郎の言葉は常に本質を捉えており、心に響く言葉が多い。また、「鬼太郎誕生」と題打ってるだけあり、子供たちに未来を託そうとする姿勢がよく見受けられる。
(ここからネタバレ)
血で手を染めた者、沙代
沙代は本作のヒロインにして村を仕切る龍賀一族の娘だ。彼女は当時の田舎娘らしく、東京から来た水木に一目惚れしてしまう。鬼太郎キャラとは思えぬ美貌の持ち主で大和撫子を絵に描いたような人物だが、当然何も起きないわけがなく……。
当主・時貞の葬儀以降、立て続けに起きた連続怪死事件はすべて彼女が怨霊を使役して起こしたものだった。実は沙代は、当主・時貞が霊力の強い子を産ませようと手垢を付けられた少女だったのだ。今回の一連の騒動は、調子に乗って手を伸ばしてきた長男や、過去を言いふらそうとする周りの女たちに危機感を抱いての犯行であった。
物語後半、沙代はそのことを隠して水木と駆け落ちしようと持ちかけるが、ゲゲ郎と付き合う内に「見えないもの」が見えるようになってしまった水木には既に勘付かれていた。
中盤からは水木も沙代を気にかけるような描写がだんだん増えてきて、手垢が付いていることを知っても割り切ろうと頑張っているようにも見えたが、流石に怨霊を振り回して周りを血の海にする女とは一緒になりたくない筈だ。
「どうせみんな私のことを見てくれない!あなた(水木)だって、私の血しか目にないんでしょ!」と迫る彼女だが、目を背けられてもしょうがないだろう。
本作で手を汚しているのは彼女だけではない。この村全員が手を汚していると言ってもいいだろう。
そもそも水木が追いかけている「M」とは、ゲゲ郎たち幽霊族の生き血が原料となっており、それを誘拐してきた部外者の人間に輸血することで、原液増産プラントに変えることができる。村人たちの使命はそんな原液生成マシンと化した部外者たちの世話をすることだったのだ。
本作で殺人や片棒を背負ってないイノセントな人間は水木、ゲゲ郎くらいのものだ。しかし、日清・日露の戦争や戦後の発展はこの「M」なくして発展してこなかったため、この国全員が間接的に因習の片棒を担いでいると言えなくもない。
とはいえ、直接手を下した人間は話が別である。沙代をはじめ、村人全員が因果応報な結末を辿った。はじめは出世に固執した水木も、この狂気を目の当たりにしてカルマの軛を打ち破ることを決意することとなる。
力に抗え、サムライ
そんな水木たちとは真反対の存在がラスボス・龍賀時貞だ。彼は日清・日露戦争で「M」を開発して莫大な利益を手にして一族を発展させ、本編開始直後に命を落とした。その狸親父のような風貌からただで転ばぬオーラが溢れていたが、奴はあろうことか、未来ある孫の身体を奪い取って蘇るのだ。
ゲゲ郎の妻を攫ったのも、あの愛おしい沙代ちゃんに修羅の道を歩ませたのも奴の仕業である。
にも関わらず生き返ってから口を開けば「今の若者はなっちょらん。ワシが導いてやらねばならん」「ワシが君臨すればこの国は安泰じゃ」などとほざくわけである。
子孫の身体を奪い取るメガコーポの大親玉という構図。これを聞いてゲーム脳の方はピンと来ただろうが、まさしく「サイバーパンク2077」のサブロウ・アラサカそのものだ。
時貞もサブロウも太平洋戦争の悔しさを忘れられず、経済で世界を乗っ取ろうとしている点でも非常に重なる部分がある。だがこいつらは端から上流階級の人間で、水木たち下っ端がドブネズミのように泥を啜ってきた無様さとは全く無縁の人間であり、「悔しさ」の本質が違うのだ。
しかしここはお国柄。サイバーパンクのサブロウはアメリカ人が書いているだけあって「敗戦に逆恨みする耄碌JAPジジイ」以上のものでしかなかったが、ゲゲゲの時貞が抱く「悪しき日本の象徴」っぷりはそれを遥かに凌ぐリアリティと解像度に溢れており、前提の積み重ねも丁寧なので奴の言葉にも一理あると思わせてしまうのだ。
なので奴が水木に持ちかけた「お前に会社を持たせて贅沢三昧させてやろう」という言葉の重みも違ったし、その言葉に一瞬揺らいでしまう水木の気持ちにも共感してしまう。
だからこそ、直後に水木の口から出てきた「あんた、つまんねえな!」という言葉に思わず鳥肌が立ってしまった。
あれほど夢見ていた金・権力と言った目に見える力ではなく、水木はそれ以上に日本を支配する権力、いや、世界に蔓延るデカい何かに反旗を翻す道を選んだのだ。なんという反骨心の鑑だろうか!これをサイバーパンクに通ずる意志と呼ばずしてなんと呼ぼう!
「国のため」とか「国を再興」という言葉が何度も出てきた本作。見ている内に「国」っていったいなんのことだ?と当たり前だと思っていたナニカにふと疑問を抱いてしまった。
過去に読んだ「都市と都市」でも漠然と感じていた感覚がようやく鮮明にわかった。国家とはデカい因習村なのではないかと。
未来に何を伝え残すか
結局、水木たちの想いもむなしく、目玉おやじが語るとおり、日本は発展の末に心の貧しい国となってしまった。
一方、今は誰もがコンピュータやインターネットで世界を変えるチャンスを持つサイバーパンクな時代に突入した。一歩間違えればすべてを滅ぼしかねないその力を我々はどう扱えばよいのか。そして次世代に何を伝えていけばいいのか――。
今回のゲゲゲの謎はサイバーパンクとは程遠いロートルな昭和が舞台だからこそ、時代を超えたパンク魂の本質をド直球で訴えかけてくるのだ。
サイバーパンク2077に描いてほしかったものをまるまると描いてくれた本作は間違いなく筆者のバイブルとなることだろう。
サイバーパンクはただの遅れた反抗期や駄々こねではなく、未来に向けて世界のカルマを打ち破る戦士である。俺たちが望めば世界は真面目に変えられる。ゲゲゲの謎は、そんな未来に向けた啓示なのだ。