映画『浦安魚市場のこと』を、浦安魚市場の上で生まれ育った者がレビュー
映画『浦安魚市場のこと』をシネマイクスピアリで鑑賞しました。
2019年3月まであった浦安魚市場。
そのかつての日常と、閉場までを市場に店舗を構えていた鮮魚 泉銀の店主にして、フィッシュロック・バンド「漁港」のボーカル・包丁の森田釣竿さんを中心に、ここに集っていた人々を通して描いたドキュメンタリー映画です。
浦安魚市場の上で生まれ育って
私にとって浦安魚市場は思い出深い場所。実はこの浦安魚市場の上階の2階〜6階は公団の団地となっており、生まれてからしばらくここに住んでいました。今は離れた場所に住んでいますが、実家はまだ浦安にあり浦安魚市場のここ数年の変遷は見てきました。
浦安の映画は浦安でと、ともに暮らした親、そして魚市場の閉場時に一緒に見届けた子どもの三世代で鑑賞。
自分がよく知っている場所が映画館のスクリーンに映し出される感覚は、テレビモニターに映されるよりも奇妙な感じが!
「主演」とも言える、森田釣竿さんの生き様
『浦安魚市場のこと』はまず、鮮魚店でもライブでも「魚食え!コノヤロー!!!」と叫ぶ森田釣竿さんの強烈なキャラクターに密着したドキュメンタリーと言えます。
日常での家族との暮らし、泉銀にやって来るお客さんとの交流では饒舌で裏表のない活きのいいトークで盛り上げる様子が伺え、漁港のライブでは、サングラスして弾帯を巻いて浦安駅前で包丁を持ってシャウトする、ライブじゃなければ通報不可避なエキセントリックな顔を見せ、取材対象者がまず面白いです。
住む場所でも働く場所でもあり、様々な方法で盛り上げようとしたものの、閉場が決まってしまった浦安魚市場に対しての悔しさを吐露しつつも、最終日もいつもと変わらず威勢よく魚を売る。
泉銀は市場の閉場により移転しましたが、魚の魅力を伝え、魚を捌いて売るということは変わらないのでしょう。
時の流れとともに変わる、「ずっとあると思っていた」景色
『浦安魚市場のこと』は、浦安魚市場という場所や森田釣竿さんの他にも、浦安魚市場の中でお店を開いていた方々にもフォーカスが当てられます。
お店もお客さんも、ここに集う人々は売る/買うだけではないコミュニティが長年に渡って形成してきたことを実感。
また、少し前までは確かにあったけど今はもうない場所の映像を見続けていると、時の流れの中で様々なものが常に変わり続けていることに気付きます。
街中で、新しく駐車場になった場所や、工事の囲いができた場所を見て、その前は何があったっけ…と、思い出せなくなることもあるはず。
非常にローカルな場所についての作品ですが、これは浦安だけの話ではなく、各地で今も進んでいることだと思います。
この映画を鑑賞した東京ディズニーリゾートも、元は漁師たちが漁業をしていた海。
埋め立てられた後、イクスピアリができる以前の舞浜はディズニーランドの周囲にある空き地でしたし、もっと言えば、この映画を見たシネマイクスピアリは元はAMCイクスピアリ16という別のシネコンチェーンでした。
あらゆる場所は変わりゆきます。浦安は特に、そのスピードが速い土地だと感じます。
また、これは演出されたものではなく偶然のことですが、2018年〜2019年に撮影されているため新型コロナウイルスの感染症が広まる前の様子が本作には収められています。
魚市場での朝飲みや、ライブに集って魚料理を食べるお客さんの様子を見ると、浦安魚市場が閉場した後も変わり続けて、流れていく時間を感じずにはいられません(歳末の売り出しの時期は、コロナ禍前でもマスクをしている方は一定数いたのだという気付きもありましたが)。
「ずっとあると思っていた」という言葉はこの映画の随所に出てきて、私も実際に「大災害が起きた時には浦安魚市場はさすがに老朽化しているからなくなってしまうか…」という程度に思っていました。日常の風景であっても、それはいつまでも見られるものではないのでしょう。
『浦安魚市場のこと』は、そんな今ある日常を大切に、というよりもどちらかというと、閉場が見えたところから取り上げているので、もう過ぎ去ったものを振り返るような視点の方が強く感じられます。
それから、食卓に載っている食べ物がどこからどのような人の手を経てやって来ているのか、その一端を紹介しているのも見どころのひとつです。
今、流行り言葉のようになっているSDGsは目の前にあるものがどこから来て、どこへ行くのかを想像することが大切だと聞きます。
築地市場での仕入れや、鯨が解体される様子を森田釣竿さん一家が見守る様子は、スクリーンには映らない、その先の漁師の方々にも思い馳せられるものになっています。
ナレーションや説明テロップは一切なく、映像のみを積み重ねていくことで、鑑賞者によって様々な受けとめ方が出来るドキュメンタリー作品です。
常に変わりゆく生活を、これからも伝えていくには
東京ディズニーリゾートがある街として知られる浦安。そんな中で森田釣竿さんは、元は漁師町なんだと叫び続けます。
自分よりも上の世代の漁師たちが、上流からの公害によって魚が獲れなくなり、闘争した後に漁業権を放棄して埋め立てが進み、今の浦安があるということも語られます(このあたりの郷土の歴史は浦安の小学校では社会科で習います)。
一時は東京メトロのCMで「浦安にもう1つのテーマパーク見つけちゃいました」というコピーで取り上げられていた浦安魚市場。
漁師町としてのアイコンとなっていたこの場所がなくなってから4年が経とうとしていますが、常に変わりゆく場所を今に伝えるには、こうして記録に残したり、昔のものを発掘し、語り継いでいくことと、市場がなくても変わらず魚を食べ続け、生きていくことなのかも知れません。
浦安の劇場ならではの鑑賞体験
この日は歌川達人監督と森田釣竿さんの舞台挨拶もあり、この映画の公開前から写真集などの方法で魚市場を記録してきた歌川さんに感謝を伝えました。
こちらの「浦安魚市場のこと」という写真集が歌川さんによるもので、2019年の発行当時に私もクラウドファンディングに参加させて頂きました。
こうした舞台挨拶があったので、上映終了後には映画に登場していた森田さんのご家族の今の姿をお見かけでき、数年前の記録から今が直接結び付くというこの場所・この時ならではの鑑賞体験ができました。
浦安唯一の映画館であるシネマイクスピアリでの『浦安魚市場のこと』の上映は、当初1週のみの予定がさすがご当地ということで動員も良く、2月2日(木)までは上映期間延長が決定しました。
上映スケジュールなどは、シネマイクスピアリ公式サイトでご確認ください。
映画を見た直後、そのまま浦安魚市場があった場所、この映画のロケ地を通っていきました。
浦安魚市場の跡地には、今はサミットと、マンションが建っています。人々の住居と、生活の場であるという点は変わっていないと言えるでしょう。
個人的には、この映画を見ることで浦安魚市場がなくなったことに悲しみ、さびしがったのはひとりではなかったということ、なんなら長年に渡って生業を営んできた方々の方がより大きな喪失感があったのだということを感じられ、それは少し、救われるような気がしました。