PS4版ゴッド・オブ・ウォーに垣間見えるクレイトスの父性演出
2018年発売のPS4用ゲームであるゴッド・オブ・ウォーを、2019年の初めくらいに購入して、4月くらいからやり始めた。(それまで2018年の夏頃に買ったサイコブレイク1をちびちびやってたんだよ…許して)
神殿が並び立つギリシャをメイン舞台に、異世界を交えながらゼウスへの復讐劇が描かれたこれまでのシリーズとはガラリと趣が変わり、幻想的な北欧の自然が舞台となった今作。(ゲームシステムも別物に変わっている)
親子の物語らしい、という情報だけ先に入っていたので、戦争の神である主人公クレイトスの実子てことはないだろう。うっかり母親を殺しちゃって拾った子を育てて…みたいな感じかと思っていたらなんと実子。北欧に亡命して妻を娶って子供までもうけたのかあのハg…おっさん。なお、現時点のプレイ段階では、妻であるフェイさんが戦士だったことまでは判明したものの、彼女が神なのか人間なのかは分かってない。
子供であるアトレウスは年齢不詳ではあるものの、思春期による親への反抗というよりは、母を亡くした哀しさに加えて、不在がちだった父への寂しさ故の反抗、という印象。つまり10歳から12歳くらいの間と想像している。
プレイ開始時点で、クレイトスとアトレウスの父子はとてもギクシャクしている。人間だった頃からずっと戦乱に明け暮れていた無骨なおっさんであるからして、(再び)愛した女性との間に産まれた可愛い我が子とは言え、優しい接し方が分からないはず。その上、母を亡くした以上は自立させないといけない思いから、厳しく接さざるを得ない状況なのだろう。
対して、アトレウスは一般的な少年がそうであるように、母親が大好きで無邪気な少年である。それと共に、家に寄り付かない父親は自分への愛情がなく、見捨てられている、という負の感情を抱えながらも、逆に父から愛されたいという渇望もあるという、極めて複雑な状況に置かれている。それはギクシャクするだろうよ。ギクシャクせざるを得ない。
それでも二人は母の遺言である、一番高い山の頂から遺灰を撒くという目的を叶えるために険しい旅をする。山に向かっているはずなのに小舟を漕いだり、魔女に言われるまま異世界に行ったりする。まあそのへんはどうでもいい。プレイ済みの人には分かってることだし、未プレイで興味を持った人はこれから体験すればいいし、そもそも興味がなければ「ふーん。で?」でいい。
1000文字近い前置きになってしまったけれども、ここからが本題。父子の関係性を知っていただく必要があったのでご容赦あれ。
このゲームの主人公は父親であるクレイトスで、プレイヤーが直接操作するのもクレイトス。子であるアトレウスは基本的には勝手に動き回る存在で、時おり父親の指示に従って動いてくれることがある。こうして、怪力な大男が子のために道を切り拓いたり、小柄で身軽な子が先行して父の足がかりを作ったりしながら互いに信頼を深め、時に反発しながら関係を作っていく。親子に限らず、バディもののベタな展開である。
今のところ、徐々に父性に目覚めてアトレウスにデレていく様子は見受けられない。もちろん、父として身を挺して子を守るシーンはあるけれども、流れとして自然なので特に感動するようなことはない。じゃあなんでわざわざレビューでも攻略でもないこんな文章を書き始めたのかというと、プレイ中のふとしたクレイトスの行動に気がついたから。
プレイ中にたくさんある段差を上り下りする行動で、たいていはクレイトスもアトレウスもそれぞれでひょいひょい飛び跳ねて移動する。クレイトスの背丈を超える壁や崖を登る時はクレイトスの背中にアトレウスがしがみつくが、これは昔のゲームのような、パートナーが放置された挙げ句にワープで再出現するような不自然さ(ゲームらしさとも言える)を解消するために必要な演出だと考えられる。
しかし、クレイトスの背丈を超えるような段差を降りる場面に限っては、クレイトスが先に降りて両手を掲げ、飛び降りるアトレウスを受け止める演出がさりげなく入る。ここが良いッ!ディ・モールトベネ!(非常に良しッ!!)
ゲーム的に考えれば、アトレウスは身軽なんだから、どんな段差だろうとマリオみたいに飛び降りたって不自然さはないはず。まあまあ広めの亀裂とか飛び越えて(させられて)るしね。そこへきて、ストンと落ちた後に振り向いてスッと手を伸ばすクレイトスの優しさ。気遣い。
この演出のせいで、プレイは確実に途切れる。その辺のバディアクションゲームであれば、プレイアブルな通常移動シーンで1~2秒とは言えプレイヤーを待たせる演出なんて普通は入れない。ムービー内であるとか、パートナーによるギミック解除待ちならまだしも、ただ段差を降りているだけなのにプレイヤーが待たされるのは、きっとイライラするはず。にも関わらず、少なくとも俺個人はまったくイライラしたりもどかしさを覚えることがない。クレイトスへの感情移入が強いわけでもないのに、当たり前としてアトレウスを受け止める行動を受け止めている。
この演出は凄い。待たされているのに待っている感じにならない絶妙な待機時間であり、クレイトスのモーションである。プレイ全体から見ればほんの些細なことではあるけど、その些細なところまで気配りが行き届いている感じがとても凄いと思った。
近年の高精細グラフィックがプレイアブルシーンで堪能できるゲームでは、立ち止まって風景を眺めてウットリすることができる。風が吹けば木の葉や花びらが舞い、鳥や小動物、虫が動き回っている。水辺にはリアルな波紋や飛沫が立つし、山に行けば吹雪が襲ってくる。このような周囲の自然に関する演出は目に止まりやすいので、作り手としても気がつきやすい。しかし、対人の演出となると、プレイに支障のない範囲でキャラクターの行動に変化を加えるには、演出家がキャラクター同士の感情を理解した上で距離感を作る必要があるので、とても難しいと思う。
対人演出がとても優れているゲームの筆頭といえば"ICO"だろう。
主人公の少年イコが、言葉の通じない少女ヨルダの手を引いて城を脱出する、という物語で、少女の身体能力を超える移動は少年が手を差し伸べて乗り越える、という行動演出が切なさを醸し出していて、プレイヤーが待たされるイライラやもどかしさまでがプレイの一部になっている秀作だった。
ただし、ICOにおける対人演出は物語を進める上で必要な行動だったし、そもそも「手をつなぐ」がコンセプトでもあったのだから、少女に最大限の気を遣うことが当然の演出と言える。ここがゴッド・オブ・ウォーの前述の演出とは異なるところ。やらなければやらないで成立するし、不自然さもない。しかし、それをやることでグッと深みが増している。
思えば、2013年にXBOX360版のスカイリム
をプレイした時、あまりに美麗な映像体験かつ2019年7月現在でもトップオブトップのオープンワールド性に大感動してやりこんで以来の感動かも知れない。感動の元になるスケールがずいぶん違うけれど、もう美麗映像なんて海外産のゲームでは当たり前(逆に、FF7フルリメイク版トレイラーの10年前みたいな映像には酷く落胆した)だし、風景演出も一般化してる。こうなってくると、演出に感動できるゲームとの出会いって少なくなるよね…。そういった意味ではとても貴重な出会いだったなと思う。
こんな「"父親が息子に手を差し伸べる"という些細な演出に感動した」っていうだけのテーマでまさか3000字越えちゃうなんて、書き出した時は思いもしなかった。せいぜい800文字くらいで書き終えて「Twitterで連投すればよかったのに」と反省するくらいだろうと思って書き始めたら、前置きだけで想定文字数越えてるっていうね。
まあ、それくらい到るところに配慮があって、ただプレイしてシナリオを追う以外の部分まで楽しめる素晴らしいゲームなんだよ、と言いたかっただけです。はい。(了)
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