晩婚化
CFとやらをやった。
わしの父は直腸癌から結腸癌になり、骨に転移して、手術したら出血多量で死ぬと言われて全身に転移して死んだ。
亡くなったのはもう20年くらい前なんだけど、そろそろ私もその頃の父親の歳に近付いて来たから検査してみた。
私はパニック発作が起きる前兆で先ず胃の辺りに不快感が起きる。そしてそれが何時間か続くと発作が起きたりする。
その症状さえ止められればパニック発作は起きないと思ったので、胃カメラをやった。
もうかれこれ5年前の話である。
でも歳の割に赤ちゃんみたいな胃ですと言われて終わった。
じゃあ全体なんなんだとなるから今度は精神科の医者に聞いた。
そしたら、そこに違和感を感じるのがストレスのシグナルなんでしょうと言ってきた。
たしかに20年くらい前からそうだからそうかもしれないなと思っていた。
治しようがないので整体師の友達に相談すると太陽神経叢だという。
たしかにそいつに施術されるといつも良くなる。簡単に良くなる。
なので太陽神経叢というよくわからないもののせいにして過ごしていた。
でも同時に実体のないものだとも言っていた。
精神も実体の伴わないものとも言えるもんだからその点では合致している気がした。
だけど最近ガボールマテさんというカナダの医者の存在を知って、精神神経免疫学なるものを知った。
身体は身体で心は心と考えるようなそんな時代も終わりなのかもしれないと感じた。
医者の友達はなんで他人の健康を管理しないといけないのかと言い、医者を辞めたがっている。
それはその通りだ。西洋医学だと自分の健康なんて主治医に丸投げである。死んだら医者のせいだ。
でも整体師の友達は、身体は層になっていて悪い所を補う為にまた層が出来ての繰り返しで赤子の状態から遠ざかっていく。だから赤子の状態に戻すのが仕事だと言っていた。
ガボールマテさんの話を聞くと、なんとなく繋がってくる。
何か嫌な事があると人格が層になって積み上がっていく気もする。それを社会は成長とか言ったりもする。
元々の自分から遠くなると病気になってしまう。
病気になると病院に行く。その症状に対して医者は薬を処方したりする。
元々の自分からずいぶん遠くまで来ましたねとは誰も言ってくれない。
小さい頃よく遊んでいた幼馴染とかは言ってくれるかもしれない。
では、成長とはなんぞやとなる。
知識と経験だろうか。
これから西洋医学を専攻していく人はこの社会に賛成していないとモチベーションなんか保てない気もする。
なんだか早く人生を終わらせるのが1番効率的に聞こえてくる。
高校一年生の時に生まれて初めて女の子に告白された事を思い出す。あの時の自分の人生が全て肯定された感じは3年くらい続いた気がする。
持続しないもんだからまたそこから15年くらい費やして同じように成長して行くべきだろうか。
それはなんだか違うと思うんだけど、元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカさんは、結婚する為には現代では必要な物が多過ぎるような事を言っていた。
冷蔵庫やら電子レンジやら車やら家やらなにやら的な
そんな物の支払いしてる間に人生の大事な時期はさっさと過ぎていくんだわ!みたいな
周りのみんなが16歳くらいで結婚する社会に生きていたら、あの時結婚していたんだなと思う。
今は何歳くらいで一人前になれる社会に住んでるのか考えてみるけど、なんだかちょっと有名な人だけが一人前の人にも思えてくる。
この仕事はいつなくなるんだろうとか、いつまでこんな仕事続けるんだろうとか、どこまで行ったら安心して結婚相手を探せる状態になるんだろうとか考える。
自分にとっての経済的な安心てなんだろうと思う。
私なんかはフリーランスで音楽家だからコロナ禍なんかはその日暮らし以下だったし、なんとか生活保護を受けないすれすれで生きて来た。
慣れない肉体労働をやって膝を痛めたり膵炎にもなったりした。
家族を持つには大きい洗濯機とか、部屋数が多い家とか必要なのかな。働く時間が長いから家事とかご飯とかどうすれば良いんだろう。
二人で働いてたらどちらかがそれをやらないといけないから、一緒に住む事で逆に負担のし合いになってしまわないだろうか。
そしたらどっちがよりキツい仕事をしてるかってのが基準になる。
少しお金に余裕がある人達は好きな事を仕事にしてるのに。大変な仕事をしてる方を労うって基準になったら子供なんて持てないな。
そんな人生は自分の責任なんだろうけど、どれだけなら社会を無視しても良いのだろう。
こんな社会に抑圧されていたら大腸にポリープが出来てしまった。
みんな簡単に病気になれるような物質主義の資本主義でトラウマの強い奴が儲けてる社会である。