ド素人が考える、物語を描く参考になるもの?


 はーい、テツガク肯定です。

 昔、自分で物語の描き方講座なるもの。
 それを私のブログに描きました。
 2019年の私が必要だと思ったもの。
 それは4つあり。

 1、物語のエンジン
 始まりから終わりへと回るエンジン。

 2、エンジンを動かす人
 物語は設定や世界観が動かすのではなく。
 人が動かすもの、誰でもいいから人を決める。

 3、伝えたい気持ちを持つ
 物語を使って何を伝えたいか、共感させたいか。
 それを明確にする。

 4、燃料を探す
 伝えたいものをより燃やす。
 そういう燃料を探しておく。

 今の私がブログを確認して要約するとこんな感じです。
 見返して思うのは――「君は完璧だな」と昔の自分に言いたいです。



 今でもそこまで大きく変わっていません。
 特に自分でも驚いたのが。
 物語を描くのに必要なものは存在と同時に存在しない。
 つまり、掟なんてあってない、とわかっていた事。

 それは今も同じですし。
 2019年からそれが変わっていないのが嬉しいです。
 ただ、強いて言うのなら、昔は4つあった。
 今は1つ。

 伝える事。


 これに尽きます。
 これだけですし、これしかないと思っています。

 それで、今回私が伝えたい事は――。
 物語を描く参考になるもの?
 という事で。

 それは、わかりきった事がですが。

 物語です。

 そうです、多く物語を知る事。
 これが最も参考になる事だと思います。
 物語と言われて連想するのは――。

 小説?

 スティーヴン・キングさんの22の教えを紹介してくださったサイトでも。


 1.テレビを見ない。代わりにできるだけ読書をする

 とありました。
 たくさんの本を読み、たくさん書く事だと。

 ところが、私は小説、本を100冊も読んでいません。
 もしかしたら、20冊も読んでいないかもしれません。
 10冊なら読んだかも……。
 漫画でも100冊読んだか怪しいです。

 ところが、自分で短編なら3つ描き。
 夢小説的なやつの短編を1つ、超・短編を1つ。
 現在、2つ目の短編(夢小説的なやつ)を――それから、他の短編を。

 なぜか、不思議と描いています。
 自分でも驚きました。
 読書嫌いな私がどうして物語を描いているのか。

 それで気づいたんです。
 確かに私は小説は読んでいません。
 20冊読み切ったかも怪しいですが。

 洋画なら300本は観ました。
 ゲームも100本ほどは遊びました。
 アニメも100種類以上は見たと思います。

 それで、私の中には多くの物語があり。
 私はいつでもその住人を思い出すわけです。
 時には、彼らの方からやってくる事もあります。

 どったの、センセ―?

 という具合に。
 読書嫌いな私だからこそ言える事だと思いますが。
 私が知りたいのは物語であって、文章ではないんです。
 世界観や設定などを細かく描写されても困る時もあります。

 何より、伝わらず届きません。

 私はスティーヴン・キングさんの作品が大好きですが。
 残念な事に私は日本人で、この国から一歩も出ていないため。
 ニューヨークのマンハッタンの建物の事を細かく丁寧に描写されても。
 全く想像できないわけです。

 褐色砂岩の建物とか。
 高さが四十二インチ以上あるとはとうてい思えない特別なドア。

 このドアについては、いまだにわかっていません。
 42インチ、テレビとか液晶ディスプレイの42型以上あるドア?
 つまり、それって……大きなドア? 小さなドア?

 こういう自分の想像力では補えないもの。
 それが多過ぎると伝えたい事は伝わりません。

 本当は物語が見たくて、小説、映画、ゲームを手に取ったのに。
 文章だったり、映像に演技、ゲーム性が足枷になって。
 物語への関心が削がれたら意味がないと思っています。

 ですから、拘るべきは外側より内側。
 物語、それで何を伝えたいか。
 現在の私はそれを大切にしています。

 物語を描きたければ、物語を参考にする。
 そして、それは小説や映画、ゲームだけではありません。
 自分の経験、記憶、誰かの話、全てです。

 この世界には物語で溢れています。
 物語のないモノなんてないほどにです。

 客観的な事実、データだと信じている、その全てですら。
 主観的な物語の感想、それをもとに生まれた欺瞞です。

 客観的なものなんてものは――。
 今の私はないと考えています。
 もちろん、あると信じるのならあります。
 とはいえ、今だけはないかもしれない、という考えで。


 それで、スター・ウォーズでマスター・ヨーダも仰っていましたが。
 フォースはいたるところにある。

 それを今の私が盗みますと、物語はいたるところにある。

 物語を描くのは、そう難しい事ではないんです。
 そして、身近なものほど自分とは違う誰かにも伝わりやすい。

 現在の私の印象ですが。
 不思議な事に日本のアニメが私には異世界に思えます。
 そして、不思議な事に洋画が私の隣にある気がします。

 『氷菓』、『その着せ替え人形は恋をする』、『デュラララ!!』。
 その他いろいろ。

 主に私にもあったはずの高校時代が舞台の話。
 これが異世界に思えます、どこの世界の話?

 かろうじて、『アマガミ』なら覚えがあります。
 ええ、いましたよ、眩しい美少女集団。
 たまたま私が橘さんと違って縁がなかっただけで。
 でも、梅原さんみたいな最高の友達が学校にも他校にもいた。
 梅原さんを見ていると、確かにこれはあった、と思い出せます。

 一方で、『スタンド・バイ・ミー』に『IT』。
 他にも『ブラックホーク・ダウン』とか。
 戦争体験者でもなければ、戦争に巻き込まれたくもないのに。
 なぜか、洋画の方が隣にある、あってほしいと感じるんです。

 時代の違うキャッスルロックにデリーに至っては。
 本当にそういう街があるように思えてきます。

 時代に場所、設定や世界観を身近にしても。
 中身があまりに違い過ぎると……。
 あるいは、見たくもないものだったら見ない。

 ですから、外側より内側。
 物語に込める中身、それが大切で。
 それを知るには、多くの物語を知るといいかもしれない。


 最近、私は『アラジン』という話を知りました。
 この話は、囚われた人を解放する人の話です。
 そう気づくと多くの話に共通点があると気づきます。

 『ローマの休日』、『ルパン三世 カリオストロの城』。
 『千と千尋の神隠し』、『もののけ姫』、『ハウルの動く城』。
 『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『インセプション』。
 まだまだあるはずです。

 他にも『はだかの王様』の場合。
 あれは本当の友達を探す王様の話。
 そういう視点で考えると――。

 『3時10分、決断のとき』、『ダークナイト』。
 『グッドウィルハンティング』、『スタンド・バイ・ミー』。
 『Spirit』、『ショーシャンクの空に』、『最高の人生の見つけ方』。

 という具合に、似た物語は多くあるものです。
 私の父が、物語は全て古代ギリシャの時代に出揃った?
 つまり、全ての物語は古代ギリシャの頃から変わっていない。
 多少、時代に合わせて外側が変わっただけで。

 伝書バトが手紙になったり。
 電話になったりメール・ラインになったり。
 その程度だけど、伝えたい想いはこれ。

 愛してる、今すぐ逢いたい。

 いいものです。
 古代ギリシャの人とすら。
 その想いは共有できるのですから。
 これは奇跡です。

 物語もタイムマシンのようなもの。
 ですから、時代の違いを越えられるように。
 世界観や設定は単純で曖昧に。

 数十年後に辞書を片手に読まないとならない物語は――。
 おそらく、あまり読まれない。

 古文、漢文なんて意味あんの?

 全くです。私は読めませんし、読んでいません。
 そして、この時代の人気作品すらそうなる可能性が。
 まあ、それも悪くありませんが。

 ですが、せっかくならボソンジャンプできそうなほど。
 読者をタイムリーパーにして、時空旅行した気になれるような。
 そういう奇跡を伝える事ができたら面白い……。

 とにかく、何かを伝えるために。
 より多くの物語を知り。
 そこから自分の伝えたい事をどの物語に込めるか。

 仮に『アラジン』を選んでも。
 けっきょく、自分の我が出始めるので。
 そっくりに描こうとしても別物になります。
 逆に自分だけのオリジナルを描こうとするほど模倣になったり。

 昔、やった『スタンド・バイ・ミー』の模倣品。
 しっかりなぞったつもりですが。
 自分の我が出始めて模倣品とは言えないモノに。
 ですが、いい練習にはなりました。
 物語を解体して理解する。
 そして、自分で組み立てていく、それを知るには。
 今では黒歴史かもしれませんが、実はもう一度やるつもりです。


 あるいは読み難く伝わり難い。
 そういうものになったり。
 それもアリです。自分だけが楽しめる暗号も。

 今の私に言わせれば。
 物語はフォース同様にあらゆるところにある。
 だから、物語を描く事は難しい事ではない。

 これを描き終えた後。
 私は近所のビッグエーにキャラメルを買いに行く予定。

 これでも物語です。
 雑談を描き始め、キャラメルを買いに出かけるのが結末。

 そこに何か伝えたいものを込めれば。
 自然と話は膨らんでいく。
 物語を描くのが好きじゃなくても。

 物語が描けて幸せだ!
 最高だ、私は物語を描くのが好きだ!

 だなんて優等生的な心がなくても描けます。
 とにかく大切なのは伝える事。

 私は物語を描くのが好きでもなければ。
 現状に必ずしも満足しているとは言い難い。

 それが伝えたい事なら。
 それでよし、あとはそれが伝わるように。
 自分なりに全力を尽くす事、これは楽しいです。

 マジに夢中になる事は本当に楽しいですが。
 もし、物語を描かずして。
 我が愛しの相方の隣にいられるのなら――。
 そう遠くない日にそうなりそうですが。

 その時は、いったんペン……キーボードから指を離して。
 相方に飛びつきます。当たり前じゃないですか!

 難しい事ではありません、物語を描く事は。
 ただ、売れる話とか賞賛される話とか作家になれる話というのは……。
 まあ、難しいのかもしれません。

 なぜなら、見る目がない誰かに理解してもらわないといけないからです。
 そんな事をするより、私は故郷へ帰る事に全力を尽くします。

 当たり前じゃないですか。
 自分を理解する気もない世界など。
 こっちから忘れてやります。

 と、まあ……。
 これくらい思えたら。
 飽きずに描き続けられると思います。
 この世界って悪霊を振り祓うまでは。

 私の相方ならこう言いますね。

 ロードスターになる事なく。
 インテグラにしてやります!

 ハイヨー、シルバー! ウェーイ!
 ハイホー、ワガママ! ウェーイ!

 多くの物語を知れば。
 きっと、描けるようになれますよ。
 小説とか形に拘らず、物語を捉えるんです。

 寝ている時に見る夢を覚えるコツは。
 事細かに覚えようとしない事。
 ぼんやりと全体図を掴むように、感じた感情だけを覚えておく。

 今でもハッキリと覚えています。
 高校時代、テスト後かなんだったかは覚えていませんが。
 午前中で帰ってきて、自宅で昼寝をした時です。
 大きな洋風の館に迷い込み、そこで小さな女の子が嬉しそうに私を連れ回すんです。
 ある程度、館を案内してもらい、最後は屋根裏の部屋に通され、窓から景色を見てうっとりしていたら。
 徐々に女の子の体が透け始め、夢の中で私はこの子は幽霊だったんだ、と思いました。(その頃に観た洋画の影響だと思います)
 でも、すぐに消えかけているのは自分で、自分が幽霊だった、と気づきました。

 それで視界と意識が消えかけていく中、思っていた事。

 絶対に忘れない

 というわけで、今でも覚えているわけです。
 正直、永く語った部分は細かな点が違うかもしれません。
 ただ、違わないのは洋風の大きな館で女の子に出会い。
 いろいろ案内されて、実のところ私もこのまま一緒にいられたら、と思っていた。
 屋根裏でそれを強く思っていたら、女の子の姿が透け始め。
 女の子が幽霊だと思ったけど、自分だと気づき、それは正しかった。

 そして、忘れずにいた結果。
 中間色のワガママ娘に再び逢えたわけです。

 夢を忘れないコツは、夢の中で感じた感情を忘れない事。
 そうすれば、なぜ、そうなったのか、というのが。
 あとから補うように思い出せる。

 そして、物語も同じ。
 伝えたい想いを変えずに忘れなければ。
 日々、物語の中に生きる自分が勝手に補うように繋いでくれる。

 難しく考えず、誰かに話をするように。
 実際、そうなんです。
 『スタンド・バイ・ミー』のゴードン・ラチャンスさんがやったように。
 焚火を囲う誰かに伝えられなければ意味がありません。
 隣の席の同級生が、「あ、いいや」となるようでは微妙でしょう。
 馴れ馴れしく、隣に座ってこう始めるんです。

 どったの、ヒーロー?




 それでは、また次の機会にお会いしましょう。









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