犯人探しはやめよう
こんばんは!毎日投稿124日目になりました。今日も頑張っていきましょう!
犯人探しのデメリット
人は、失敗に直面すると、自分の過ちの可能性を無意識に排除して、他人のせいにしたくなってしまう傾向があります。
過失のあった企業が「従業員が個人的に犯したミスであり、指導を強化します」なんて言って責任逃れをする、というのはその典型例と言えるでしょう。
しかし実際は、その従業員からしても何らかの意図しない要因があってミスを犯してしまったケースもよくあります(本当の意味で個人的なミスである可能性ももちろんありますが)。
その場合、そのミスを犯したとされている個人も、企業がその個人のせいだと思っているのと同じくらい、企業のせい、または他の○○のせいだと思っていることもあります。
そうなると、誰が犯人で、誰が責任を取るべきなのか、という問いは意味をなさなくなってきます。
メディアや組織の幹部などは、「その過失の犯人は誰なのか」を調べ上げ、最終的に犯人だと判定した人や小組織がどのような経緯で、どのような理由でミスを犯したのか“だけ”を言いふらします。そうすることで、私たち大衆の矛先がその個人、小組織に向き、「一件落着」とされるからです。
もう一つ、犯人探しにはデメリットがあります。
犯人探しとそれに伴った懲罰はミスや過失の再発防止に役立つと一般的には考えられています。
しかし、実はそれは正しくないそうです。
再発防止の目的で懲罰を重くすると、見かけ上のミスの報告は減るものの、それは報告が減っているだけで、ミスは実際には増えており、ただ隠し通そうとしやすくなるのだといいます。そのため、犯人探しの文化は、失敗をひたすら隠すことを促し、失敗から学ぶことを妨げていると言うことが出来ます。
まとめ
犯人探しをしても、組織としては実はあまりいいことがありません。失敗をお互いでカバーし合い、失敗を許容し、失敗から学ぶことを促す社会こそ、本当に良い社会と言えるのではないでしょうか。