【第5話】秘密:ブランディング=翻訳して意味をつくること
今まで大切にしてきたことをオープンにしていくタイプではなかった僕が、その秘密にしていたようなこともnoteでは惜しみなく書くことにした。なぜだろう、、、?なんとなく。直感だ。第2話では、僕が「命がけ」とまでは言わないまでも、かなりストイックに生きてきた結果として辿り着いた境地で見つけたマーケティングやブランディング、そして、凡人がリーダーとして機能するためにどうしたか?ということなんかにも触れてしまっている。なぜだろう、、、?ぐるぐると考えた結果の直感だ。第2話、第3話、第4話に続き、秘密を織り交ぜて、今回も書いてしまおうと思う。
僕が信じて止まないのは、ブランディングという仕事を司る人は、経営者や事業責任者の「情報参謀」だということだ。これはどういうことかというと、、、①経営者が伝えたいこと、事業責任者がお客様や社員をはじめとしたステークホルダー伝えたいこと、その中で最も光りそうなことを見つけ、それを核に「翻訳」して、②最適なタイミングで、③適切な方法で伝えるという役割である。これが僕が考えている情報参謀やCMOの重要な役割だ。コーポレートブランディング、採用ブランディング、広報、サービス・商品ブランディングといった仕事の重要性は、「役に立つ」から「意味がある」ことが重要になっている(※1)時代に、ますます高まってきている。また、マーケティング活動全体に関しても、特に昨今は、「役に立つ」から「意味がある」というところへ価値がシフトしているから、高速PDCAだけでもなんとかなった時代から、「新しい意味を生み出すマーケティング」が不可欠になってきている。その際にとても大切、、、いや、不可欠なのは、「過去」や「あたりまえ」や「ふつうは、、、」に縛られないことだ。いわゆる「ゼロベース思考」(※2)をベースに「世界でいちばん大切にしたい、たったひとり」にとって、理想は何か?伸びしろは何か?という視点が「意味をつくる」上で本当に大切で、思考の本質的起点となる。
※1:「ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式」(山口 周 著)を参照 / ※2:「新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術」(齋藤 嘉則 著)を参照
最近、とある会社の役員の方から、僕の近くで頑張っているメンバー宛にメッセージをいただいた。内容はこのようなものだった。
「広報の仕事は、やればやるほどいい仕事ができる。何もしなくてもそれはそれで何とかなる。不思議なもの。だからこそ、実は広報パーソンこそ自分の中で高い志が必要で、これからさらに重要な仕事になっていくことだけはハッキリしている。会社の課題がどこにあるのかわからないが、いい「伸びしろ」を見つけて、一心不乱に進んでほしい」
といったのもだ。大変ありがたかった。「伸びしろ」を見つけて、一心不乱に進んでほしい」、、、ありがたい言葉だ。
話を戻すと、、、誰かや何かに迎合せずに、いわゆる「ゼロベース思考」で、ことができる人たち。それはどのような人かな?と振り返ると、、、僕を近くに置いてくださった創業経営者の方々は大体そうだった。①迎合しない。②群れず孤高。③異端者。④常識にとらわれない。⑤世の中の動きを読む。⑥イメージ力が凄い。⑦誰もがあきらめそうな理想を当たり前のように信ている。そして、⑨いきなりおっぱじめる。「世の中の8~9割ぐらいが反対することをやれ。」「みんなが賛成したことはするな。もしやるんだったら、お前がやる必要はない、誰かにやらせろ。」、、、2000年に電通を飛び出してベンチャー企業で生き抜いてきた僕は、そんな言葉を浴びせられながら行動し、そして、感化されながら生きてきた。
今でも覚えているのは、2014年の春、経営者のI社長から、日曜日の夕方にオフィスで仕事をしていた僕のところに、ぽーんと短いメールが来た。「いい動きです。非常識を常識に。」常識に従順でいたら、新しい市場なんて創れない新しい需要なんて生み出すことなんかできない。当時、KOEの立ち上げをやっていた僕は、本当に何でもやった。服を売ったことも作ったこともない僕のが、役員+事業部長+MD(どういう服を何種類、どのサイズで何色展開で何着つくり、原価と売価を決め、いつ店頭に入れ、いつOFFをし始め、いつ店頭から物流に戻し、いつセールにかけるかのすべてを決める人)のひとり3役をやっていた。非常識だった。後から知ったが、社内外の業界の人でこの大役を引き受ける人は誰1人いなかったそうだ。怖いもの知らずの僕は、社長も期待してくださっていることだし、とりあえずやってみることにした。一緒に伴走してくれた仲間と3社の専門商社の方々のご尽力のおかげもあって約1,000型(服の種類)を秋冬(アパレル用語でAW)に作り店頭に入れた。9月岡山、10月高松、11月新潟と立て続けに約200坪の売り場面積の路面店をオープンした。その始まりは壮絶だった。秋冬の服のラインアップをそろえるために、まず、外資系や日本の大型洋服店(SPA)のすべてに行き、半日以上かけて、どのカテゴリーの服が何種類あるか、、、色は、、、サイズは、、、など徹底的に調べた。気になる服は購入して会社に持ち帰った。また、店舗スタッフを他のブランドから異動してもらうときは、優秀なショップスタッフがいそうな店舗に自ら行き、その子と会話していた。忘れもしない、2017年6月、3カ月後の9月に1店舗目のオープンを控えていた、とある土曜日・日曜日に、店舗スタッフの視察を敢行した。土曜日:東京駅から早朝の新幹線に乗り仙台へ。仙台・名取で計4店舗視察。その後、郡山→宇都宮→大宮3店舗→新宿3店舗→町田2店舗→帰宅、、、長い1日だった。翌朝(日曜日)は、朝イチの飛行機に乗って、鹿児島に飛んだ。鹿児島→熊本→福岡→北九州→倉敷→岡山→品川→自宅。その日の最終の新幹線に飛び乗ったのを今でも覚えている。ただ単に、他ブランドの店舗スタッフをスカウトするためだけに。2日間で25店舗ぐらいに行った。そのおかげで、他の事業部の責任者の方々も渋々優秀なスタッフの異動させてくれ、オープン店舗には本当に素晴らしい人たちが集まってくれた。
また、駐車場の面積が足りない、、、ということが分かった時は、不動産会社の人を介さずに、地主さんのところにお願いをしに行った。東京から新幹線にのって数時間かかるところだったが、アポイントもとらずに、日曜日の朝に、とりあえず行った。新幹線の駅に降りてすぐにお電話して、「どうしてもお会いしたくなって、いてもたってもいられなくなり、来てしまいました。。。」と話をしたところ、ご自宅の近くの喫茶店を指定され、僕が到着して待つこと30分、地主さんは来てくれた。結局、その土地を購入させていただくことができたのだった。
あれこれやる前に考えずに、「常識を敢えて無視した最善・最短」のやり方をしなければ、成し遂げることはできなかったと、つくづく感じる。それを身をもって教えてくれていたのは、やはり社長自身の行動だった。非常識を常識にした感じの大胆があって、本当に本当に凄かった。そしてありがたかった。そういうやり方を示唆してくれた彼には、とても感謝している。彼のもとから離れる時を翌週に控えたとある日、僕は社長室にいた。「ほんとよくやり抜いたよね。ありがとう。飛行機も離陸する時が1番負荷がかかって、普通に飛んでる時の何百倍のパワーがいるからね、、、」10分も話さなかったが、彼の言葉すべてが沁みた。ほんとにありがたかった。
事業とブランドをゼロから創るという仕事は、骨が折れた。「非常識を常識に。」その方向感の中で、僕は汐留にある古巣の47階(役員フロア)に直行する秘密のエレベーターに乗っていた。2013年10月のことだった。今回の事業=服のグルーバルブランドをゼロから創るということになったので、執行役員の方に相談にいくことにした。古巣とはいえ、そこから飛び出して13年がたっていた。当時お世話になった彼も雲の上の存在で、1階から48階まで全フロアを1社で埋めている広告会社のボードメンバー。その彼に裸一貫で合いに行くというのも、破天荒で少し勇気がいった。しかも、僕がジョインしたその会社には、その広告会社の担当営業部があったにも関わらず、そんなのお構いなしに、僕が信じたいと思った彼に会いに行った。(後にわかっていったのだが、担当の営業部長もスタッフの方々もとても良い方々で優秀な方々でほんとに助けていただいた。)ブランディングをどうしていくか?そもそも、ブランド名をどうするか?コンセプトをどうしていくか?ロゴマークをどうしていくか?デザインをどうしていくか?ショップバックをどうしていくか?まさに、何にもない、ゼロからだった。47階に着いてエレベーターの扉があくと、秘書の方が待ち受けてくれていた。大きくて豪華な革張りのソファーが並べられた応接に通された僕は、「お掛けになってお待ちください」と、おそらく僕の先輩にあたる秘書の方に丁寧に言われたが、僕はとてもぎこちなかった。少しして、僕が在籍時代にとても良く指導と面倒を見てくださった執行役員さん(当時は営業部長)が、部屋の扉を開け、相変わらずの色黒の笑顔で入ってきた。47階の秋空が窓から飛び込んできたいたこともあったが、それ以上に彼は光り輝いていた。世間話は早々にして、僕はその彼に相談をし始めた。5~6分ぐらいだったろうか、僕の話を聞いた後、彼は笑みを浮かべながら単刀直入に言ってきた。「美濃部さー、俺だったら、服のブランドをつくろうなんて考えないで、生き方のブランドをつくるぐらいのスケールでいくと思うよ。グローバルブランドにしたいんだろ?」と。僕が考えていることなど、一蹴された。僕は、あーやはりそう来たか。と思い、一枚も二枚も上手だった先輩に対して、尊敬の念しか湧いてこなかった。彼が凄いのは、「俺だったら、MとHにチームをつくってもらて、TとかEとかHとか、、、そういうスタッフでいくかな。」と。全員、当時も今も、超一流と言われるクリエイターの人たちだった。僕は、彼に恐る恐る言った。「あの、、、競合(強敵の競合広告会社とのコンペ)になってしまうんですけど、、、その布陣で臨んでいただけないでしょうか?」「、、、」彼は閉口した後、「しょうがないなぁ、事情や立場もあるだろうから、わかったよ。少し時間もらえる?調整するから。」、、、目頭が熱くなった僕は、「ありがとうございます。」と言って深々と2回頭を下げた。こんなタブーを受け入れてくださった先輩も、僕以上にタブーを恐れない勇敢な人だった。そして今も、そういう人だ。強さ、優しさ、しなやかさ、勇敢さ、厳しさ、ユーモア、、、背中で教えてくれた。感謝しかない。
競合プレゼンテーションの日の朝、普段は絶対に来ないはずの、その執行役員の先輩が錚々たるメンバーの方々と一緒に来社された。彼は用意された席に座り、微笑みながら広告業界のスーパースターたちのプレゼンを嬉しそうに見守っていた。僕も嬉しくなっていた。その内容は飛びぬけていて、圧倒された。午後にもう一社のプレゼンがあったのだが、正直に言うと、もう、僕の耳には何も入ってこなかった。結果は明白で、古巣の方々にお願いすることになった。「誰かの声じゃなくって、自分の内なる声を聞こう、地球の声を聞こう」「この素敵なコエを世界中に伝播させていこう。」というコンセプトのブランドKOEが誕生したのだった。僕が立ち上げた事業は、一緒にやってくださった方々のおかげで、「グローバルに展開をする洋服」ではなく「サスティナブルなライフスタイル」に翻訳されて誕生したのだった。
KOEの立ち上げをしていた時の話も、「常識を疑う」系の話のごくごく一部なのだが、そんなこんなで僕が心掛けているのは、「常識を疑う。」「ゼロベースで考える。」「多くの人の言うことは、参考にはするが、切り捨て、違うことをやる。」「同じものでも、違う意味に変える方法を模索する。」、、、など、「普通は、」「今までは、」という規定路線に従わない選択肢をすることが多い。なぜ?って、、、そのほうが上手くいく確率が高いからだ。
マーケティングやブランディングの仕事でも、「翻訳して、違う意味に変える」ということを、僕は心掛けている。教科書的なものだと思う例があるので、いくつかを紹介してみたい。誰から聞いたわけでもなく、僕が参考になると思って記憶の引き出しに大切にいれてあるアプトプットで、考察は僕自身が考えたままのことを記載してみる。
少し前の話になるが、「年賀状」のブランディングには、心が射抜かれた。SNSやメールが生まれてから年賀状を送る人が減りはじめた頃、2007年か2008年の展開だ。「というメッセージ。年賀状を送る人は、「人との絆や関係性を何よりも大切にしていて、プライベートで毎年年賀状を送っているあの人」を「世界でいちばん大切にしたい、たったひとり」として、その人が「なぜ、年賀状を、わざわざ、時間をかけて、書き、送るのか」ということを追求した結果なのだと思う。「年賀はがき」を「(何よりも想いのこもった)贈り物」に翻訳している。全文を記載すると、、、
「年賀状は、贈り物だと思う。たった一枚の、小さくて、うすい紙。それが年賀状です。そこには何も入らない。指輪も、セーターも、シャンパンも入らない。でも、そこには、あなたを入れられる。あなたの気持ちを、あなたの言葉を、あなたの表現を入れることができる。だから年賀状はすばらしい。そう思いませんか。大切な人のもとへ。一年で、いちばん初めに届けられるプレゼント。」
このメッセージは僕の記憶に焼き付いた。人との絆や信頼関係を大切にする人の心を射止めるメッセージだ。年賀状を「はがき」ではなく「大切な人への一年でいちばん初めに届けられるプレゼント」にしてしまっている。そもそも「年賀状の存在意義」はどこにあるか?ということを追求していった結果、たどり着いた境地のようにも感じられる。
同じコピーライターの人が生み出した言葉に、「美しい50歳がふえると、
日本は変わると思う。」というのがある。1997年に資生堂さんのアクテアハートという化粧品が生まれた時のブランディングだ。「美しい50歳」、、、今は素敵な50歳の方々は男女問わずたくさんいる。だが、今から20年以上前は、めずらしかったように思う。山本容子(版画家)さんがメインのイメージキャラクターを務め、栗原はるみさん、前田美波里さん、久米麗子さんが、このコピーと共に登場していた。みんな、年齢には無関係に活躍し輝いている素敵な人たちばかり。当時のアクテアハートが「世界でいちばん幸せにしたい、たったひとり」は山本容子さんだったのだと、僕は思う。すごいなーと思うのは、「化粧品」を「スキンケアやメイクをするもの」から「女性が年齢とは無関係に生き生きとすることで、日本を変えていくもの」にしているところだ。実際に、今、本当にそうなってきているから凄い。
おなじく、「というミツカンさんのメッセージ。
やがて、いのちに変わるもの。人が泣いています。人が笑っています。人と人が出会い、人と人が恋をし、結ばれ、子供が生まれ、育ち、ふたたび新しいドラマが始まってゆく。人は歌い、人は走り、人は飛び、人は踊り、絵を描き、音楽を生み、壮大な映像をつむぎ出す。食べものとは、そんなすばらしい人間の、一日一日をつくっているのです。こんこんと湧き出す、いのちのもとをつくっているのですね。私たちがいつも胸に刻み、大切にしているのは、その想いなのです。どこよりも安全なものを。どこよりも安心で、健康で、おいしいものを。やがて、いのちに変わるもの。それをつくるよろこびを知る者だけが、「限りない品質向上」をめざせる者であると、私たちは心から信じています。
ミツカンさんは、お酢やポン酢で知られる食品メーカーだが、「金のつぶ」に代表される納豆もつくっている会社で、「発酵食品」を創る技術と文化に関しては世界一の会社だと、僕は思う。1804年の創業以、200年以上の不断の営みから培われえ来た想い・技術などを含めた歴史。そのすべてを未来に向けた表現にしているような気がする。「調味料や食品」から「いのちに変わるもの」=「命」への翻訳。「我々は、人の命を、未来を創っているんだ。」と思えたら、この会社で働く意味も、そこから生まれる商品の意味もぜんぜん変わってくる。ちなみに、我が家は、めんつゆ以外の調味料や食品は、可能な限りミツカンになってしまった。
少し話はずれるが、翻訳とは延長線上にはないということや、「タブーすら恐れない勇敢さがあるほうが人の共感を呼ぶ」という事例を挙げたい。
偉大な人たち。彼らは決して、常識どおりにはやらない。有名な話は、Appleの「Think different.」のキャンペーン。スティーブジョブスも、常識を疑い、そもそもの理想を追求した人だからこそ、各社似たようなガラケーを創っていた時に、i phoneというスマートフォンを発明したと言われている。
クレージーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。四角い穴に 丸い杭を打ちこむように物事をまるで違う目で見る人たち。彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない。彼らの言葉に心をうたれる人がいる。反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる。しかし、彼らを無視することは誰もできない。なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。彼らはクレージーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが本当に世界を変えているのだから。Think different.
このCMに出てくるキング牧師(1964年のノーベル平和賞受賞者でアフリカ系アメリカ人公民権運動のリーダー)。彼の演説は本当に凄い。出会ったのは高校生の時。当時の僕はフランス留学の免税府と思えた「外国語学部フランス語学科」にいくために英語を一生懸命勉強していた。「I think that that that that that boy wrote is wrong. (私はあの少年が書いたあの"that"は(使い方を)間違っていると思う。)」というのを英語の先生がいきなり黒板に書いた時に、5秒で手を挙げて答え、みんなに驚かれた。英語が得意だった僕は、教材になっていたキング牧師の演説が録音されたカセットテープを繰り返し何度も聞いた。「I have a dream that one day......」「I have a dream that one day......」「I have a dream that one day......」、、、繰り返しを聞きながら暗記した。キング牧師が演説で語っていた夢は、当時のアメリカではタブーとされていたことばかりだったはずだ。その「タブー」ともされていた「理想」を「勇敢」に発信した。
僕がマーケティングやブランディングの仕事をするときは、「常識を疑う」「タブーや非常識を恐れない」「ゼロベースで考える」「そもそも、、、本当は、、、の理想で考える」、、、そんな考え方を徹して、「現実と理想のギャップを埋めるための翻訳」をすることを心掛けている。常識的なことを言う人の意見は、バッサリ捨てる。「戦略とは、略して戦う」こと。「戦略とは捨てること。」それは、先輩や一緒に仕事をさせてただいた経営者の方々、そして戦友みたいな友達たちとの合言葉だ。
最後に、僕が実際に関わらせていただいた事例のひとつを紹介したい。
PRTIMESさん。2017年2月、戦友のひとりでベクトル社の長谷川さん(取締役グループCOO)とPRTIMES社の山口社長と再会した。場所は渋谷のセルリアンタワーにある和食レストラン。僕はその前にベクトルグループに在籍していたこともあり、ふたりのことは良く知っていた。ふたりとも大好きな経営者だ。山口さんは、頭が良く、とにかく人並みでない熱い想いのある経営者。やさしさと凄みに溢れている。僕らはお互いに尊敬しあうところもあったということもあり、個室でランチをとりながら2時間近くがあっという間に経った頃、「PRTIMES社のミッションステートメントを一緒につくっていきましょう。」ということになっていた。
僕が初めにしたことは、プロジェクトメンバーの方々6名に根掘り葉掘り聞いていったり、課題を出して、社内の意見集約をしてもらたりした。また、経営者の山口さんの話をとことん聞いていった。良くあることなのだが、経営者の想いは伝わっているようで伝わっていない、、、正しく表現すれば、「言葉としては伝わっていても意味として伝わっていない」という感じのことが多い。社員の人が大切にしていることの中に、「主体性をもって世の中や未来を明るくしていくために大切なこと」が含まれているのに、そのことに気づいていない。そんなことも多い。
僕がやったことは、「すべてを土俵にあげること」「捨てること」「そもそも、、、本当は、、、の理想を追求すること」「理想と現実を埋めるために何をするかを見定めること」、最後に「翻訳して意味つくること」だった。その中でも鍵になったのは、「そもそも、プレスリリースがもつ世の中にとっても意味は何か?」「プレスリリースは、今の時代になぜ重要なのか?」「そもそもプレスリリースには、どこまでの可能性があるのか?」を追求することだった。
「プレスリリース」と聞くと、「新商品や新サービスが出ると、なんとなく無難に発信するもの」というような「実は間違った常識」をもっている人がいる。でも、本当にそうなんだろうか???僕はぜんぜん違うと思うし、少なくとも、いろいろなものを背負って事業責任者をやってきた経験がある僕にとって、「プレスリリースは情熱と汗と涙と不断の営み、そして、挑戦の結晶」だった。運が良かったのは、僕自身がいわゆるPRITMESというサービスを使いこなしていたし、また、事業責任者としての仕事もPRの仕事もしていたことがあったので、リードターゲット(n=1)となる人がどのような人なのか、手に取るようにイメージできた。それは「新規事業立ち上げに心血注いできたリーダーやプロジェクトチームのことを託して見守る経営者の情報参謀をしている広報責任者」というイメージだ。そして、プレスリリースを配信するのは広報部の人だが、その先にいる新商品や新サービス開発した人たち、そして、新規事業を立ち上げた人たちの存在がある。彼らの代わりに情報発信したり、彼らのやってきた行動を、より分かりやすく魅力的な表現にして、より多くの情報を届けたい人に届けていくのがPRTIMESの本質だと定義した。「プレスリリース」を「人の心を揺るがす、行動者発の情報」「裏には人の喜怒哀楽や夢や希望をともなった行動があって、物語がある。」というものに翻訳した。
そのような背景から「というミッションステートメントが生まれた。プレスリリースは、広報の人が翻訳した、その会社で頑張っている人たち=行動者たちの結晶だという軸が生まれた。PRTIMES社の提供番組として「行動者たち」という名前の付いたテレビ番組(テレビ東京)も放映されている。
PRTIMES社のミッションステートメント全文(レイアウトなどは、再現できていないのでご容赦を)
行動者発の情報が、人の心を揺さぶる時代へ。
インターネットが人の生活に入りこみ始めて四半世紀。一人ひとりが情報を編集・発信できるようになった。そして、テクノロジーによってかき集められた情報が無造作に拡散されることも増え続けている。本当に必要な情報や本当に触れたい感情や想いに出会う確率は、残念ながら、総じて減ってきている。本当に必要な情報や本当にれたい感情や想いに出会う確率は、残念ながら、総じて減ってきている。揺るぎない真実は、何を言ったかではなく、何をしたか。その行動は嘘をつかない。ゆえに、行動者の情報価値が高まっていくことに、インターネットやテクノロジーの力が発揮されることに意味がある。頑張りに直結した情報が、最も確かで人の心を揺さぶる潮流を生みだす。スポーツでも芸術でも、政治でも経済でも、そして、仕事でも家庭でも。それが、大きいことでも、小さいことでも。行動者発の情報の質と流通速度が上がっていくことで、それが世の中の情報のメインストリームになれる。そこから生まれる物語が、想いが、一人ひとりの、そして、世の中の心を揺さぶっていく。ポジティブなエネルギーが循環していく。そのプラットフォームになることが私たちの使命です。
ミッションステートメントをつくる場合、僕は、ある程度の長い文章にするようにしている。ミッションステートメントは、その企業が「社会を、未来を、どうしていきたいのか?」を「共感」と「勇敢さ」をもって表現されるべきものだと、僕は考えている。だから、左脳的なわかりやすさだけではダメ。また、覚えやすいということに囚われる必要もない。そして、物語性やWhyが見え隠れした方が絶対にいい。イメージが湧くぐらいの伝わり方をしていくためには、抽象的な表現の中に具体的な言葉や文章を織り交ぜることが効果的だからだ。思い出すことがある。noteの【第2話】【第3話】でも書いたが、20代前半にフランスで学んだ哲学や文学。抽象表現と具体的な話を織り交ぜて、深い理解と大きな飛躍を生み出している。そういえば、キリスト教の聖書だってあんなにたくさんの物語が入っている。そして、多くの人が知っているように、優れたれたものは、そこに行ったり見たり触れたりする度に新しい気づきや発見があるものだ。たとえば、繰り返して読むような大好きな本がある人は知っていると思う。読む時々によって解釈の深まりも広がりも変っていき、その本はまるで生き物のような存在になる。ミッションステートメントも、立ち止まった時、悩んだ時に読みかえしたくなるようなものであって欲しい、と僕は思う。サン・テグジュペリの「星の王子さま」が、子供の頃よんでも、大人になってから読んでも、そこから学びや気づきがあるように。それまで生きてきた体験や行動と紐づいて。
【第5話】は、思いのほか長文になってしまいました。短くしようとしましたが、考えた末、短くすることをやめました。とはいえ、約1万文字、、、ちょっと長すぎですね。それにも関わらず、最後まで読んでくださって、本当にありがとうござます。読んでくださった方々の役に少しでも立てたら嬉しいと思っています。次回は、もう少し短くしたいと思います。
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