ただの散歩!(2つの博物館と「ソ連」について)
みなさん、はまぐりのお吸い物やちらし寿司は召し上がりましたか?
昨日はヒナまつり。かつ貴重な休日。
ただいろんなところを歩いてみただけですが、新宿と横浜の有名~地味スポット、特に僕の大好物の「博物館めぐり」について書いてみました!
3000字くらいで写真を多く載せ、ソ連のシベリア抑留など重い話も載せてますが、ただの散歩ですので、ぜひチンケな写真ですがお楽しみください。
新宿~京王プラザホテルの雛人形へ
まずは新宿。
目的は二つ。1つは雛人形を見ること。
僕にとり今期最も注目のアニメ「その着せ替え人形は恋をする」の主人公が雛人形の頭師の子だからだ。
今回の旅のお供の漫画は「ヒナまつり」。
電子書籍で安かったのでひたすら読んでいた。3巻まで33円、5巻まで33%オフ!
京王プラザホテルで吊るし人形が飾られ、その奥に雛人形。吊るし人形の中に岐阜のサルボボなど探して行く。
練馬大根?最近は自分の作ったキャラ散歩の記事の影響で練馬と大根とたくわんが好きです。
干支のタイガー。
中にいらっしゃる、ラスボスのお雛様。
お内裏様。天皇陛下と皇后陛下を模したものとされますので敬意をもって。
サルボボみるとなぜか、阿部共実先生の「ちーちゃんはちょっと足りない」を思い出す。
新宿②~平和記念資料館へ
京王プラザホテルからちょっとで都庁、ちょっとで三井住友新宿ビル。ここの33階が二つ目の目的。
平和祈念資料館。太平洋戦争の「引き上げ」がテーマだが、前半のソ連によるシベリア抑留の展示が詳しい。
現在のウクライナ侵攻にて、改めてロシアやソ連について勉強しなおしている。
かつてわが祖国はソ連に裏切られ殺戮を受けた。しかも北方領土は不法占拠されたまま、現在も問題として私たちの目の前に突きつけられている。
「ソ連とロシア、ことにスターリンとプーチン許すまじ」の思いを強めるために見に行く。
たまたまそこにいただけなのに。
ソ連に捕まった日本人はことごとくシベリア送りに。
スターリンはもともと社会主義ソ連建国「五ヵ年計画」の労働力としてドイツや日本(50万人確保する命令)の捕虜をあてがうつもりでした。
マイナス30度以上の極寒における強制労働、虐待ともいえる奴隷的扱い。与えられたのは外套や飯盒くらいで後はすべて自分で作る、メガネもナイフも自作されてました。
毎日の食事は決められたわずかな黒パンのみ。
この扱いは国際連合でも問題視され、数年を経て帰還に。5万人の日本人が亡くなりましたが、地面が凍り遺体を埋めることもできず放置されたようです。
ソ連によるウクライナに対するジェノサイドとも言える搾取、「ホロドモール」を思い出します。
飢えに苦しみ、外套の袖と黒パンを交換した人も。凍死しちゃいます。
ほとんどの日本人の願いは「帰国」と「米をたらふく食べる」だったようです。
シベリア抑留の経験がある漫画家が展示されてました。いろはカルタが生々しい…
このとき優遇された日本人が、ソ連の工作員となるべく教育を受けたとか。
生きるのも、家族を守るのにも必死でしょうね。工作員はこういうところにつけこんできます。ソ連解体時にカーゲーベー(KGB)のミトロヒンがイギリスに亡命し保護されるために渡した「ミトロヒン文書」はソ連の工作記録が詳細に描かれ衝撃を与えましたが、この中には日本の様々な有名新聞や政治家などの名前が載ってました。
かつて日本を日中戦争に没頭させ、太平洋戦争の要因をつくり、敗戦直後にGHQからの逮捕される直前に服毒自殺した元首相の近衛文麿。
そのブレーンであった元某新聞社員の尾崎秀実はソ連のスパイ(ゾルゲ事件)でしたが、今でもロシアの工作員だったり、ロシアとのパイプで仕事している人も多いのでしょうね。
政治家の鈴木なんとかとか、評論家の佐藤なんとかとか。
悪いこととは言いません。それ込みで私たちは話を聞き情報を得ないとですね。
さて、またソ連については、特に千島列島から北方四島、樋口季一郎中将など「占守島の戦い」や「樺太の戦い」は、ロシアを知る上での必須履修科目と思うので、僕も調べて書きたいところ。
三度目の新宿平和祈念資料館、やはりいつ見ても生々しさに衝撃を受けますが、今日の本来の目的地(新宿には「雛人形見たい!」「ソ連許すまじ!」の衝動で来ただけ)、横浜の荏田宿あとに向かいます!
神奈川県横浜市都筑区の横浜市立歴史博物館へ
早く「大山詣りに行きましょう!(キャラと散歩記事)」を進めたいのだが、取材に時間かかる。
大山街道の跡を求めて、溝の口までは調べまくったが、重要な拠点「荏田宿」は、①明治の大火のあとの開発で、名残がほとんどない、②溝の口から割りと歩く、によりなかなか全貌が把握できない!
そして歩き回るのも疲れる。なので今回は、「実は割りと荏田の近くに横浜市立歴史博物館があった」ので、博物館マニアでもあるのでそこに向かう!楽しそう!
(前にはじめて荏田に向かい遭難したときの国道246は新しくできた道路で、旧道を歩いて取材するのはまた次回。)
田園都市線あざみ野から市営ブルーライン、センター北のすぐ近くに博物館。
旧石器時代のナウマンゾウ!
細石刃(マイクロリス)てこう使うんか!知ってたが百聞は一見に如かず!
土器もリアル!
重要な社会事業は、「道づくり」ですが、朝廷が幹線道路を敷く前、縄文時代から「道」は作られた!
まあ、獣道や隣村までの行き方など、当時から必要はありますな。
画像は湿地を歩けるようにした木道です。
神奈川といえば鎌倉。鎌倉はどんな町なのか妄想を張り巡らしたいところ。
鎌倉から各地にのばした鎌倉街道も、ろくに記録のない難解な中世の研究の努力により少しずつ見えはじめてます!
鎌倉時代、関東武士らが日本各地に所領を与えられ広まりました。
我が故郷の長崎も関東武士の長崎(苗字は地名が多い)氏と関係あるとか。
大きな縁を感じます。
照子とマイルのモデルにしよう!
圧巻は、神奈川宿に実在した茶屋「さくら屋」の復元模型!これを見たかった…!!
大山街道の名残が、この招き看板。
しかし、よくわからず、博物館の方に質問した。
どうやらホテルなどにある「○○様御一行」という「講(サークル)」の名を示しているらしい。
荏田の柏屋の招き看板、柏屋の跡も見てみたい!なんなら照子とマイルの宿にする?
荏田の記事を書く前に、また博物館に行き、荏田の本と学芸員さんの話を聞く課題が増えた。
(博物館閉館10分前だったため)
神奈川県横浜市青葉区、荏田宿あとへ
荏田宿は、大山街道のスタート地点「赤坂見附」を、江戸時代の旅人が大山(神奈川県の丹沢大山・雨降り山として後利益があるが、他国へは通行手形というパスポートが必要など移動の制限があった江戸時代の人はこの参拝を口実に大山講などのサークル仲間などとの旅を楽しんでいた)に向かうとき。夜明けの朝から出発し、青山~渋谷~三軒茶屋~世田谷~二子玉川~溝ノ口を経て、約30km、ちょうど日が沈むころがこの荏田であり、宿場町が作られ旅人が飲食や買い物、夜を楽しむのににぎわっていた。
博物館を出て、そのまま徒歩で荏田宿あとに向かう。30分ほど。今度はスマホ充電、充電器もともに満タンにしたので、地図アプリ、遭難しないぞ!
が、雨。傘無し!暗雲に包み込まれる。
雨宿りしつつ、幸いの通り雨。雨足弱くなる合間に、荏田宿の入り口へ。
目指すは、今でも残ってるらしい①庚申塚、②常夜灯。
そして残ってないだろう、渡辺崋山が泊まった「桝屋」と、招き看板の「柏屋」あと。
雨で難儀してる僕をからかってるようで嬉しい。
桝屋あとは地図アプリにのってたので、やや期待してましたが、普通の住宅地。敷地内に土蔵みたいなのがあった。
常夜灯は宿場を照らす目印、ランドマークか。
柏屋あとは、この246との交差点あたりかな。
さて、「大山詣りに行きましょう!」の続編、四月前に書きたいなあ。
まず、旧道を溝の口から荏田まで歩き直す。
前は246、何の名残もなかったし。
そして横浜市立歴史博物館へ再取材、大山街道の本を読もう。
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