信と愛
信ずることと愛は、
キリスト教で重要視されるものですね。
そのため、極めて宗教的なテーマではあるのですが、
宗教を離れた日常においても、
信と愛
は、常に、また潜在して、それぞれの各人に突きつけられている課題であり、
各人は、
この信と愛を抱いているか否か、その程度、度合いはいかばかりか。
によって、その人格の傾向も、人との関係も、生き方も、仕事のあり方も、人生のあり方も、運命のあり方も、変わっていくように思われます。
信あれば、そこに愛が生まれ、
愛あれば、信じうる現象が引き寄せられる。
信じうる現象が引き寄せられれば、
ますます信が強まり、
愛すべき現象が引き寄せられる。。。
こうして、よきことの循環が生まれ、拡大していくのではないか。
世の幸福な心境や境涯にある人達は、
無意識に、こうした信と愛の循環のなかにあるのではないか。
真に信と愛に生きている人達は、
あたりまえに実践しているから、
あえて信とか愛とかは言わないけれど。。。
であるならば、
日常のなかで、
不信と疑いと不安と嫌悪と反発と怒りとにとらわれ、
波立った心境にある不幸な自分を自覚したら、
信と愛
信と愛
信と愛
と深呼吸しながら唱え、
心を落ち着かせ、
信と愛の循環に自分を引き戻しましょう。
ただし、
自分のみならず公共の福祉を害する程度に増長した悪に対しては、
信と愛による平静な心を失わないように十分留意しつつも、
相手の相手の気付きを促すために、
距離をとったり、冷たい態度をとったり、
勇気をもって毅然と相対したり、
することが必要でしょう。
甘く見られたり、なめられてもいけません。
これについては、また別の記事で書きたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?