名も知らないお姉ちゃんと、けろけろけろっぴの大冒険
ゲームのことになるとすぐ記事を書いてしまう。と言っても、別にすんごいゲーマーというわけではなく、とはいえゲーム好き寄りなほうだという程度なのだが。
さて、心に残ったゲームか。そんなもの、たくさんあるに決まってる。初めてやったゲームは多分テトリスとヨッシーのたまごとヨッシーのクッキー。全部親戚のおばさんが初代ゲームボーイとともに譲ってくれたものだ。自分から欲しいと言ったのは多分ポケモン赤緑で、姉が赤、僕が緑をプレイしていたな。金銀も姉が金で僕が銀だった。2タイトルをまとめて読むときの後ろのほうを回されるのは、世の弟の宿命だろう。うちに初めて登場したテレビゲームは64で、父が唐突にマリオ64と一緒に買ってきた。あんなにスーファミを買ってくれと頼んでも買ってくれなかったのに。64といえば、新潟駅のヨドバシカメラで時のオカリナを買ってもらった記憶もある。特に事前情報もなく、ゼルダシリーズに触れたこともなく、ただあの黒い箱に描かれた絵とプレイ画像に心を奪われたのだ。ムジュラも親に頼み込んで買ってもらったし、こう考えると結構ゲームに対して寛容な親だった。ありがたいもんである。
その後もPS2、GBA、Wii、DSシリーズ、Switch、PS4と、飛び飛びながらそれなりの数をプレイしてきた。そんな僕の心に残ったゲームといえば、たぶんこれだろう。
けろけろけろっぴの大冒険
知らない人もいるんじゃないだろうか。ファミコンのソフトで、サンリオのけろっぴを操作して迷路をクリアしていくゲーム。ざっくり説明以上。
先ほども書いた通り、うちに登場した初めてテレビゲームはNINTENDO64だった。つまり、ファミコンやスーファミをプレイした経験は友人宅だけということになる。だからこのけろけろけろっぴの大冒険も、友人、というか知り合い宅でやった、それきりなのだ。
その知り合いをAちゃんとしよう。Aちゃんは、僕の祖父母の家の斜め向かいの家に、たぶん住んでいた。たぶんというのは、本当に住んでいたのか、たまたま帰省してきているのか判断がつかなかかったからだ。が、その当時、行けばいつもいたから、住んでいたんだと思う。時々いないこともあったが、まあ買い物やお出かけくらいどの家でもするだろう。Aちゃんは、たぶん姉と同い年の女の子だった。たぶんというのは、聞いたことがないからだ。僕も当時3歳か4歳か、それくらいの年齢で、人見知りもするタイプだったから(今もか)、年齢を訊く機会はついぞ訪れなかった。同性ということもあって姉と気が合っていたようで、身体の大きさも同じくらいだったから、たぶん同い年だろうと勝手に思っている。年齢どころか名前も知らなかった。もしかしたら親や祖父母に訊けばわかるかもしれないが、わざわざそこまでする気もない。僕のなかでAちゃんは「おばあちゃんちの近所に住んでいた名も知らぬお姉ちゃん」であって、それ以上でも以下でもない。
うちは父がファミコンなので(ファミリーコンピュータではない)、かなり頻繁に祖父母の家を訪れていた。車で3、40分はかかる。そんなところに、月1くらいのペースで行かされるのだ。母の苦労と苦痛は想像に難くない。離婚された原因は絶対そういうとこやぞ。
かくいう僕も、別に「おばあちゃんち」に行くのは好きではなかった。同年代の子と家の近くで遊びたかったし、おばあちゃんちに行っても特に面白いことはなかった。おばあちゃんちは田舎にあったし、かといって山や川があるわけでもない、じーさんばーさん達が住んでいる家と田んぼがあるだけのつまらない街だった。だから子供心に「行きたくないな」と毎回思っていたのである。
そんな「つまらないところ」に行くときの、唯一の楽しみだったのが、名も知らぬお姉ちゃんの家でけろっぴのゲームを遊ぶことだった。「Aちゃんち」に遊びに行くという姉にくっついていって(姉からは疎まれていたが)、けろっぴとともに冒険する。それがなんとも楽しかったのである。冒険といっても、やはり子ども向けキャラクターの子ども向けゲームだけあって、なにか壮大なストーリーがあるわけではない。確かピーチ姫よろしくさらわれたヒロインを助けに行くとか、そんな程度だ。ただ、やたら面白かったという記憶だけが残っている。
迷路の難易度はバラバラで、当時のゲーム事情が垣間見える。簡単なステージは未就学児で簡単にクリアできる一方で、難しいステージは未就学児と小学生2人の計3人が力を合わせてもクリアできないレベルだった。大人になった今だったら簡単なのだろうか。メルカリあたりで本体とソフトを手に入れてやってみる価値はありそうだ。けろっぴを操作し、キャンディやケーキを拾いながらゴールを目指す。ただ歩くだけのステージもあれば、オセロ風のステージだったり、蓮の葉っぱの上を跳んでいくようなステージもあり、視覚的にもおもしろい。
ただ、なにがこのゲームを面白くしていたかというと、きっと環境なのだろう。僕の住んでいたところだって別になんでもあるような地域ではなかったが、公園があり、友人がいれば、それだけで子どもには充分だった。それに対しておばあちゃんちの周辺に友人なんて1人もいなかったし、公園へ行ってもじーさんばーさんがゲートボールをして占領している。そもそも、1人で公園へ行っても何もできないし、かといって親や祖父母と行ってもつまらないのだ。子どもってそういうものである。その点、田舎のなにもない地域でテレビゲームをプレイというのは、とんでもない非日常を感じられた。おばあちゃんちの周りにいる、数少ない同年代の子ども。家にはないファミコンのゲーム。それに、「1日1時間までよ」なんて口うるさく言う親も、わざわざ付いてきたりはしない。制限され、束縛された環境のなかにある、オアシスのようなスポット。その中心にあったのがこのゲームであり、Aちゃんという存在だった。
数年の時が経ち、Aちゃんはその家からいなくなっていた。たぶんだけど、どこかへ引っ越したんだろう。Aちゃんの祖父母と思しき人達だけが残った。Aちゃんがいなくなって、僕も姉もこの家を訪れることはなくなった。Aちゃんは今、どこにいて、何をしているのだろう。思い出のなかのことで、名前や年齢どころか顔も思い出せない。だが、確かに心に残っている思い出。感謝でも憧れでもない、なんとも言えない感情だけが、心の中に残っている。
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