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自称:文系の考察【40代noteで稼ぐ】
■始めに
今回はただの雑記帳ですが、同世代のみならず特に自分には難しいシステムは理解出来ないから、などの理由で「noteで売れるモノは無い」と思う人達に"ホントにそうなのか"を見直すきっかけになってもらえれば…と
内容は単なる自分の考え方を述べたものです。ちょっと長いですがよろしければ最後までお付き合いお願い致します。
■世の中には2種類の人間しかいない定義
まず結局のところ、僕は世の中には文系か理系か…しか存在しないと思っている。勿論それ以外を例えるボキャブラリーが無いのもあるが極論の話だ。
右脳の人、左脳の人の2種類しか存在しないという勝手な個人的定義
例えば数字が並ぶ紙を見たときに嫌悪感が出たり最初から難しそうなイメージしか湧かないけど本を読むのは苦にならない人は文系
小説や雑誌などの沢山の文字には最初から手付かずで避けるけど、数字の羅列には特に違和感がない人が理系。
つまり互いに苦手と前提がある人の区切りで、それも「どちらかといえば」というくらいの寄り方でも良い。
そんなざっくりとした分別方法ではあるが、極論この2つの分類でしかないと思う。
そんな中で今noteなどのシステムで稼ぐ人達はその大半が理系の人だと思っている。
■個人的には国語寄りの「自称」文系
僕はどちらかと言えば数字は苦手だ。
昔から算数や数学は教科書を開いた瞬間から「わからない」前提で授業をただ「聞いていた」くらい
最初から学ぶ気持ちも無かったのかと聞かれたら否定出来ないくらいだ。
そんな僕でも国語は嫌いではなかった。読み書きに始まり「わかる」前提で授業を「受けて」いた。しかし特に大好きや得意というわけではない。ただ自分が歩み寄れる側の方だっただけ。
つまりこんな話から言えば僕は文系だ、と勝手に認識している。それが「自称」文系たる内容だ。なので自称文系と言っても特に文学に秀でている、というわけではない。
あくまでもただ「どちらかといえば」の差の話でしかないのは今一度念を押しておきたい。
■自称文系の転機
前置きはさておき、これまではプログラミングなど理系の人達のおかげでシステムは多様に構築されてきて、またそういった理系の人たちがより多く稼ぐステージがあった。
しかし今はどうだろう?
勿論今も進化し続けている様々に対して、理系の人達の稼ぎポイントが多々あるのは否めないし良い事だと思う。
でも僕のような「自称文系」のどちらかと言えば国語がまだマシ、という低レベルの人間にもいよいよ稼ぎ方に手段が増えた時代でもあるのだ。
太宰治に芥川龍之介や村上春樹に東野圭吾…といった著名人作家達を目指す「ホンモノの文系」の人達で無くとも
「自称文系」がその僅かな才能を用い僅かでもお金を生むチャンスが出来たのだ。
次ではその理由と手法について述べていこう。
■万人が持てる収益システムの入手
自費ブログやデジタル出版などだけでなく、例えばこのnoteと言うシステム
Amazonのアフィなどでの外部収益化などだけでなく、何か有益な情報を発信出来れば、note自体を有料にしてもすぐ売れるという。
ただ残念ながらそんなものは正直今の自分には無い。
しかし情報以外にも文章を有料化する中身の選択肢はある。そのひとつが小説だ。
ここで小説を書く事で直接読み手にアピール出来て、わざわざ何かの賞を受けるまでもなく(気持ち的には)勝手にデビュー出来るわけである。
そしてそれも設定するだけでリアルタイムに料金を得ながら活動出来る。こんな素晴らしい事が当たり前の時代になったのである。
集客をする為の広告に同サイト内以外にも、外部のSNSというシステムも利用出来たりと
今や1人で営業から執筆そして販売まで自宅に居ながら行える。
■時代のくれた恩恵(直接提供)
もしかしたらこれまでは持ち込む会社や相談した編集者個人の意向に沿わないという理由だけで、またその他ヒューマンエラーを含む様々な要因が元で、本当はベストセラーになり得る内容も闇に消えていたのかもしれない。
勿論、書き手の方がシャイで持ち込むまでに至らず、机の引き出しに眠った夢のベストセラー候補も数多くあるのだろう
しかし今は自分で作品を公に出来て、そして良くも悪くもすぐにエンドユーザーから評価を受け対価も得られるのである。
こんなに素晴らしい事があるだろうか
こんな時代だからこそこれを利用しない手は無い。中年層の皆様は特に紙に慣れ親しんだ世代。TVも映画もまだまだチープだったけどその分それを脳内で補う想像力はあったと思う。
そう、我々の脳内の想像力がもたらす補正力により、TVの特撮の丸見えのピアノ線すら消して、あたかもあのヒーローが飛行機が「飛んでいる」映像を脳内に創り出せたはず。
そしてそんな時には沢山の書物にも出会ってきたと思う。文章から齎される季節や人の表情、家具の細部に至るまで自分の想像力が形を色を映像にして見せてくれたはず。
だから私のように小説家をひとつの将来の夢にボンヤリと目指した人も居るかもしれない。
もう昔の話だから、と捨てられる想いですか?
それに勝る今の生活や趣味があるならば別ですが、ただ平凡な毎日と夢のない未来の事で頭がいっぱいで「つまらない」と思う時間が多いなら、どんな人生になりたいか、どんな人生でありたかったかでも良いし、自分の自叙伝でも良いと思う。
夢中になってただ文章を書いているだけでも、毎日は楽しくなる。
仕事の休憩中に書いたエッセイやコラム、キッチンから煮物の片手間に書いた恋愛小説で勝手にデビュー出来る時代。
なんて素晴らしい時代が来たのであろうか。
それが今すぐ思い立った瞬間から出来る、それがこのnote
■自称文系の野望
僕はいつかここで昔書いていた小説をもう一度しっかりとやり直して、喜んでお金を貰えるような作品にして書いてみたい。
あの頃はガラケーで300文字くらいの制限の中、暇を見つけては僅かなファンの人の為に一生懸命書いていた。
それは小説だけではなく日々のブログやつぶやきもそうだけど、例え1人でもコメントなどのレスポンスをくれる読者が居ればそれは人生の励みになる。
僕のnoteでの最初の目標はそこかなと思っている。
皆さんも是非、今の世の中は文章を様々な形で表現出来る場所が沢山あって、挑戦しやすい現実と目標がある喜びを感じてください。
そしてあなたの机の引き出しに眠っているそのベストセラー候補、その作品を夢のままで終わらせないで発信してみよう
たった1人でもその価値に対価を支払ってくれる人が居たならそれだけで人生は輝き出すはずだ
ただの文字の羅列じゃない、気持ちを込めた文章を書く事は楽しい
てつまるでした!