足立美術館の日本一美しい庭園を撮る
島根県安来市にあります足立美術館。
世界的に有名な美しい日本庭園がありまして、世に満ち溢れる様々なランキングで堂々一位。
しかし、小生日本人でありながら、日本庭園の良さと言うか見方がわからない。
なんか現代アートレベルの知ったかぶりをしなくては楽しめない代物だと思っておりましたが、結論から言うと当方完全に間違っておりました。
日本庭園は"Don't Think. Feel!"「考えるな、感じろ!」だったのだ。
禅とブルース・リーと日本庭園を撮る!
日本庭園は人工的な自然であり、禅的世界の抽象化であると思っておりました。
建築と違い、自然物を自然として作為的に設置する仏教観漂うマインクラフトみたいなイメージ。
だがしかし、これはそんな難しいことを考えずとも、ここまで徹底的に管理されていると「美しい」と思わせてしまうのである。
足立美術館の庭師さんのぶっ飛んだ職人芸は某日本放送協会なんかがスペシャルぶっ込んでたので見たことがある人も多いだろうが、本当に落ち葉一つ落ちていない。
当日は猛烈な夏日で大地が照り照りに照り上がっていたが、白砂がピッカピカに光っていた。
自然物がここまでミニマリズム的整理整頓されていると、数学的な真理を匂わせてくる。
この世の自然物は数学的な黄金比に支配されており、人間はそこにも美を見出す。
葉を顕微鏡でみたときのあの人工的にも見える黄金比の美しさの拡大版が、この庭のようである。
やれ月がどうの滝がどうの言う前に、自然物を自然に置きながらも、ここまで完全に整理してしまうと美しさを感じてしまうのである。
「完璧」に近づけた調和は美しいのだ。
「完璧」=正解なのだろうか?
否、正解は人々の持つイメージに操作される。
だからこそ、もっとも人間の根源的な記憶に引っかかるものこそが、本能的に共感できるのではあるまいか?
そこにあるのは、非自然的な自然を演出するためにかかってであろう気の遠くなるような労力と職員の仕事もあるだろう。
わりとこの辺のニュアンスの好みは人それぞれだろうが、(マルクス主義者ではないよ)僕はそこに内包された人間の労働量に感化されやすい。
労働、職人技、そこには膨大な時間と天性な才能と終わりなき鍛錬が一瞬でパッと咲いているのである。
サグラダ・ファミリアを見たときもそうだったし、アンコール・ワットなんか最高だった。
とにかく職人さんすごすぎる。
建材と違って生き物相手だし、ミニトマトを枯らすような僕は絶対無理やなという感想しかわかない異次元の世界。
さらには、多様な植物の成長を四季に合わせて調整したりしているのだろう。
酷暑の真っ昼間の日差しでも、木々は青々と美しかった。
とにかくすごいものを見ました。
あまりにも美しい調和が強い景観であると、写真を撮るのが意外に難しい。
どこを撮っても良さそうなのだが、どこか完璧な構図があるのではという強迫観念に襲われる。
完璧な秩序を前にしては、写真も秩序を求められるらしい。
今回は50mm単焦点一本勝負だったが、逆に正解だった。
構図を楽しむ場としてもおすすめでした。