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『恋する星屑 BLSFアンソロジー』の話②
本記事は続き物。①はこちらからご覧ください。今回は一穂ミチ「BL」と琴柱遥「風が吹く日を待っている」をネタバレ有で語りたいと思います。
①でSFとして面白い作品として挙げたのが、一穂ミチ「BL」と琴柱遥「風が吹く日を待っている」の2作。最初は「BL」の方から語っていきたい。
一穂ミチ「BL」
「BL」は、BL好きの女性に惹かれた男性が、世界中の男性を(ほぼ)同性愛者に変えてしまう話だ。モノガミックな異性愛を達成するために、世界そのものを変容させてしまおうとするプロットには、セカイ系(SF)らしさを感じた。(自分はそこまで詳しくないけど……。)
そういう意味では、日本SF(小説以外も含めて)の文脈を意識して書かれた作品のように映る。(読んだ人ならわかると思うけど、もちろん本作はBLなので、異性愛的なセカイ系の物語に留まることはなく、そこから逸脱していく。)
同時に、世界中の男性を同性愛者に変えていくという展開は、(同性愛者とは明言されていない・なんなら異性愛的に描かれている男性キャラ同士の関係を、男性同士の愛として読み替えたり・2次創作したりしていく)BLの精神を物語っているようで、すごく画期的だと思った。
琴柱遥「風が吹く日を待っている」
「風が吹く日を待っている」は、オメガバースを人類学的に描いた話で、カシミール地方(インドとパキスタンの国境らへん)に暮らしているトゥニと呼ばれる人々の話から始まる。
「トゥニの六割はいわゆるたんなる人間で、三割がガンダルヴァ、一割がキンナラになる。ガンダルヴァは男も女も子供を産ませることができる体をしてて、キンナラはどっちも子供を産めるようにできている。〔…〕」
トゥニと呼ばれる人の中には、ガンダルヴァとキンナラと呼ばれる人たちがいて、オメガバースの作法でいえば、ガンダルヴァがα、キンナラがΩにあたる。
語り手(作中では「私」)は、ロビン・タイドという。米軍に所属している男で、赤ん坊を出産したトゥラシーという少年(Ω)に会うために、トゥニの居住地を訪ねることになる。というのが序盤の展開で、トゥラシーという少年を求めたロビン・タイドの恋路が話の中心になっている。
本作のおもしろさは、20世紀の現実世界にオメガバースの人間が現れた(周知され出した)らどうなるのか?、というシミュレーションにある。西側諸国ではオメガバースの(あるいはオメガバース化した)人間が受け入れられ、特にαの人間が重用されるようになる。
で、αの人間は異性(この場合は男女)を選ぶとは限らないので、同性婚も認められるようになった。また、後天的にオメガバース化する人間もいて、優性思想も改められるようになっていった。
本作ではそうした社会の変化が肯定的に描かれる。しかし、結局は別の規範(αΩ)が世界を左右していくようになることが容易に想像され、ロビンとトゥラシーの恋路もそれに呼応しているように感じた。
考えさせられることの多い傑作だった。
【一旦、終】
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