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『メメントラブドール』を読みあぐねたあなたへ②

 本記事は下の記事の続きである。あらすじ等は①をご覧いただきたい。

 さて、第1回の最後に、じつは「私」も成長していたのではないか、ということを述べた。では「私」の成長の契機は何だったのか? その疑問について論じる前に、まずはタイトルについて考えてみたい。

メメントラブドールというタイトル

 メメント(Memento)はラテン語で「記憶せよ」という意味である。メメント・モリ(Memento Mori)という警句で馴染み深いだろう。意味は「死を忘れるな」である。
 ラブドールとは、(主に)女性を模した人形であり、男性が疑似的なセックスを楽しむために用いられる。ここでは、疑似的なセックスのために人間を模した人形としたい。人形というのは完全に受動的な存在で、乱暴に扱われることもあればすり減ったのちに打ち捨てられることもある
 これらから「メメントラブドール」とは、「ラブドールを忘れるな」という意味になる。

 この点に関して疑問はないだろう。文意を明らかにしたところで、次の疑問が生じてくる。

① 「ラブドール」は誰なのか?
② 誰が「メメントラブドール」と言ったのか?
③ 誰に対して「メメントラブドール」と言っているのか?

 あてもなく「誰」に代入すべき人物を考えるのは大変である。そこで、まずは「自分(この場合は「私」)」あるいは「他者」を代入してみたい。

ラブドールとは「私」なのか?

 まず、①に「私」を代入してみよう(①=自分)。というよりも、「ラブドール」=「私」である、と固定してもよさそうに見える●●●●●●●●。なぜなら「私」が自身をそのように表現していたからだ。実際に下記の引用を見て、「ラブドール」=「私」として読んだ読者は多いだろう。

下ぶくれでぽやっとした容貌の私が、〔…〕イマジナリーラブドールとして振る舞えていた時代はもう終わったらしい。

市街地ギャオ『メメントラブドール』筑摩書房 p.9 引用者太字

 学生時代に「私」は高専に通っていた。当時「私」は(女性のいない環境における)セックスシンボルだったのではないかと窺える。「イマジナリーラブドール」というのも「仮想的なラブドール」ということで、高専時代にクラスメイトなどと性的な関係を持ったというわけではないものの、オナペットであったことを自認していたように察する。

 現在の「私」が行っているノンケ喰いが、どのような動機[註1]で、どのようにして始まったのかはわからない。ただ「私」の好み自体は高専時代の影響を多大に受けているらしい。加齢によって揺らいだ「イマジナリーラブドール」としての自認を取り戻そうとしているようにも映る。自分から自分に対して「メメントラブドール」と言い聞かせるように(②=自分、③=自分)、自ら「ノンケ慰め隊たいちょー」を名乗って、ノンケ喰いをしているのかもしれない(と感じた読者もいるかもしれない)。

 しかし「ラブドール」は、ときに乱暴に扱われ、打ち捨てられることもある。ラビッツ(男の娘コンカフェ)での「私」の扱われ方はひどい。

私とまさてゃはラビッツのスケープゴートだった。

同書 p.35

私が入店時からずっとフリーセクハラキャラを貫かされているように、〔…〕。

同書 p.118

※まさてゃとはラビッツのキャスト(同僚)のこと。

 直接引用することはしないが、「やばおじ」(ラビッツの客、pp.34-37)や笹井(ラビッツの上司、pp.112-114)からセクハラを受けている。(こちらも搾取である。)しかもその扱いが当然かのようにである。彼らから「私」へ、つまりは、他者から自分へ「メメントラブドール」と言われているようなもの(②=他者、③=自分)だ[註2]。

ノンケ喰い動画

 そうなると「私」のノンケ喰いは、復讐じみた憂さ晴らしのような(性的)搾取のようにも見えてくる。(実際、搾取ではある。)マッチングアプリで釣ったノンケ男性と(相手から許可が出れば)性行為の動画を撮影し、自身の裏アカウントの影響力を高めることに利用している。このことを「私」も自覚していて、今までに撮影してきた動画のことを「私がインターネットに垂れ流してきた欲望とインプレッションの詐取」(p.16)と表現していた。

 ただ、ノンケ喰いが憂さ晴らしのようなものだといっても、気苦労がないわけではない。部屋は徹底的に掃除しなければならないし、甲高い声を出してASMR警察を刺激してはならない。これらは出演者(ノンケ)や視聴者にとってのノイズを減らすための涙ぐましい努力だ[註3]。誰もそうした配慮に気づくことはなく、精液を拭いたティッシュをビニール袋の張っていないゴミ袋に入れられては、心の中で怒っている(pp.19-20)。

「私」はノンケ喰いによって、むしろ精神的に消耗しているとすら言える。そのことを示すために、次のシーンを引用したい。カズ(マッチングアプリで知り合ったノンケの大学生)と再び動画を撮影した際のやり取りである。

「また舐めてください。普通にきもちいいし」
「いいけどさ」
 服を着たカズがパーカーの袖口に生成された毛玉をちぎっては落としているのを睨む。この部屋も私もゴミ箱みたいだった。

同書 pp.61-62 引用者太字

 搾取を試みても、かえって「私」の方が搾取されたような気分になっている。にもかかわらずやめられない。コンカフェで搾取されているので、ノンケ喰いで搾取しようとしたら、今度はそちらでも搾取されたかのような●●●●●構図になっている。(※「私」の方も搾取はしている。)それは、他者から自分に言われた「メメントラブドール」という言葉が「私」の中で反響して、自分から自分に対して「メメントラブドール」と言い続けているようでもある。
 それと同時に「私」のそうした消耗感が「搾取」という語に自嘲的な意味合いを帯びさせているかのようにも感じる。

 次は「私」が用いる「搾取」という語について掘り下げてみたい。

「搾取」と自嘲

「私」が用いている「搾取」には、ある時期まで自嘲的な意味合いが込められていて、ノンケ喰いは搾取であることにたしかに自覚的であるものの、決定的な実感が込められていないように思える。

いつだって自分を含めた誰かを無鉄砲に煽って生きている。そうしないと立っていられない場所にいるのだから仕方ない、という開き直りはどれくらいの正当性をもって響くのだろう。

同書 p.99

 この気質に基づいて、自分自身に対する煽りとして「搾取」と言っているのではないか。そして、自嘲によって搾取に対する罪悪感を相殺しているだけではないか。

 だが、ある心境の変化をきっかけにして「私」は変わっていく。

成長の契機・タイトルの解釈

 さて、第1回の最後に、じつは「私」も成長していたのではないか、ということを述べた。では「私」の成長の契機は何だったのか? そのヒントになる文章がある。カズの写真をプロフィール画像にして、紺野(「私」が勤務しているSIer企業の後輩)を釣ったときのことを回想している場面である。引用してみたい。

カズに成りすまして紺野に写真や動画を送ったことを思い出す。あれが紛れもない搾取だったことを、芽を出しはじめた罪悪感が証明している。Tinderに無数にいるなりすまし男と同じだった私の本質が変わってしまう気がして、そしてそれは不可逆な変化なのだろう気がして、怖い。

同書 p.130 引用者太字

 カズになりすましたこと、そして、紺野に写真や動画を送り性器の写真を引き出したことに対して、「私」はそれを「紛れもない搾取」だと認識し、罪悪感を抱くようになった。

※あるいは、「ラブドール(にしたこと)を忘れるな」と、他者からの警告の声が届いたかのようでもある。他者から自分へ呼びかけられた「メメントラブドール」を「私」は受け取った結果、それが罪悪感として表出したのだとも考えられる(①=他者、②=他者、③=自分)。「ラブドール」は必ずしも「私」だけであったとは限らない。

 しかも、この罪悪感は「不可逆な変化」なのだという。(特にヘテロ男性にとっては)反省によってマイナスが少々改善しただけのように見えるかもしれない。
 しかし、読者である自分は、これを「私」の成長だと見なしたい。今までは自嘲という形で相殺してきた罪悪感を、「私」自身の実感として初めて受け止めたからだ。

梅雨が明けたらしい。それでも部屋はうす暗くて、そしてすこし後ろめたい。

同書 p.133

 自分はこの梅雨明けを、この「後ろめたさ」を、ポジティブなものとして捉えたい。

[註1]「私」がノンケ喰いの動機を自分自身でも理解していない。このことについては、下記の引用の通り。

てかなんでそんなノンケとやりたいん? と問われて答えに窮してしまう。

同書 p.41

[註2]本来はここで「スティグマ」の議論を持ちだすべきなのだが、しない。なぜなら筆者は専門家ではないからである。

[註3]出演者の性欲を減退させないために、「私」は常日頃から部屋(特に水回り)を掃除している。水回りの汚れという、生理的嫌悪を催させるノイズを徹底的に回避している。

ホーム画面はだらしなくても部屋は常に綺麗にしている。常軌を逸した綺麗さじゃないとこういう男は性欲の処理を躊躇しはじめるから、〔…〕

同書 p.13

「私」は動画撮影の際、意識的に声を低くしている。甲高い声は女性の声を想起させる。こうした声は(主たる視聴者であろうゲイ・バイ男性にとって)気が散るため、避けねばならない。

たまらないな、と思いながら意識的に声のトーンを下げる。「なるほどね」前に行為音声をツイートしたとき、オカマ声萎えますやめてくださいとリプライがきたことを思い出したからだ。クソリプおじさんやノンケ喰い同業者なんかよりもASMR警察が一番厄介なのかもしれない。

同書 p.18

また、「私」は次のようにも述べている。

枕やタオルケットがくしゃっと映りこんでいたり、ベッドの下にはAmazonの段ボール箱や腹筋ローラーが置かれていたり、背景の情報量が多い。生活の気配が画面越しでも濃く漂っていて、この部屋のような雰囲気でないことに安堵する。営みの手垢がついた部屋のほうが搾取のゲージは溜まりづらいような気がしたから。

同書 p.130

なぜ「営みの手垢がついた部屋」の方が「搾取のゲージは溜まりづらい」のか。「背景の情報量が多い」「営みの手垢がついた部屋」は、動画撮影の際にノイズになるため、ノイズの排除が徹底されていない空間は、すなわち(性的)搾取に特化していない空間であると、「私」が認識しているからだろう。


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水石鉄二(みずいし)
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