ライフワークとしての探求
こんにちは。哲学チャンネルです。
ただいま、東京から岡山へ向かう新幹線に乗っております。本業の用事で岡山に向かうのですが、雨がひととおり落ち着いたみたいでホッとしています。
新幹線などの移動の乗り物で、パソコンを開いて作業するのがどうもしっくりこない私なのですが、スマホだったらいけるぞ!ということで、せっかくなので今年後半のあれこれについて書きます。
◼️今年後半について
実は、本業の仕事のうち、大体半分ぐらいの仕事を辞めました。
もともとよく分からん働き方をしていたのですが(副業というよりも複業的な)そのうちのいくつかの仕事を辞めることにして、今年前半を使って引き継ぎなぞをしていたのですね。で、それがある程度落ち着き、今はそれなりに身軽になっております。
仕事の一部を辞める決断をした理由はいくつもあるのですが、そのうちの3割ぐらいは「哲学チャンネルの活動量を増やしたい」です。今後は今までよりもちょっとだけこの活動にかける時間が増えるものと思います。
とはいえ、動画の投稿ペースが早くなるかは分かりません。(いやむしろそう期待されるとしんどいかも) どちらかというとそれ以外の活動。例えばオフライン企画であるとかコミュニティ的なものであるとか、そういうものに少し時間を使いたいなぁと考えている次第です。
その辺りについて、まだ何にも決めていないのですが、牛歩の歩みで進めてまいりたいと思ってます。
いきなり大々的に企画して後戻りできなくなるのが嫌なので、最初はかなり小規模から色々試していきます。物好きな方がいらっしゃいましたら、ちょっかい出していただけますと幸いです。
◼️ライフワークとしての探求
私が哲学や思想に興味を持ち出したのは中学二年生の頃です。いわゆる厨二病的思春期がその方面に私を邂逅させたのですね。
最初はハイデガーの『存在と時間』を読みました。当然全く理解不能。でも「理解できない」ということに感動がありました。テキストは確かに「読めて」いるのに、その内容が全くわからない。その状態が不思議でならなかったのです。
それからというもの、接近したり離れたりしながら、さまざまな哲学や思想に触れました。私は自分のことを「積極的ノンポリ」であると認識しているわけですが、それもあって特定の哲学や思想に肩入れすることがありません。あくまでもフラットな立場でそれぞれの哲学や思想と付き合ってきたのです。
そんな関係も、気付いたら20年ほど続きました。まさか自分が哲学関連の発信をするとは思ってもいませんでしたが、なぜかそんな活動をしてしまっています。
で、ここしばらく心のどこかに「何か一つのジャンルを徹底的に探求したい」という想いがあったのですね。これからも哲学や思想とは付き合っていくのだけれども、その中でも「これ」という没頭ポイントを欲していたのです。
とはいえ先述のとおり、基本がノンポリなので「自己信条と関連性の高い哲学や思想」というものを見つけるのが難しい。これについてここ最近ずーっと考えていました。
結果、なんとなく方針が定まりました。基本的にノンポリな自分ですが、その中でもわりと確信めいた感覚を持っているのが「人生は無意味であり苦痛の方が多い」という仮定です。それでいて悲観主義者ではないのが不思議なのですが、心の底では一切皆苦的な心情を持っているのです。
そう考えると、やはり興味があるのはそういった「厭世主義」「悲観主義」にまつわるさまざまな哲学や思想。もっといえば「厭世主義」「悲観主義」をどのように解釈し乗り越えるかという試み。(乗り越えないと反出生主義になりますので)
具体的には、哲学でいえばショーペンハウアー・ニーチェとそれに続く実存主義の面々。もっと遡ればヘラクレイトスやディオゲネスもそうなのかな?思想でいえば原始仏教などもそれにあたると思う。
その辺りの哲学や思想をより探究していきたいなと考えています。
まぁ上記は「哲学チャンネルの方針」というよりも「自分の趣味」に近い話です。
ですので、今後の哲学チャンネルの発信内容が「厭世主義」「悲観主義」一色になるとかそういうことではありません。もちろん、多少その影響はあるかもしれませんが、基本的にはこれまでどおり幅広い内容を取り扱っていきたいと考えています。
あぁ、まだ静岡だ。これから2時間、何しようか。